学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

言葉は品性

マーガレット・ヒルダ・サッチャー元英首相の父、アルフレッド・ロバーツが幼い娘によくこう言っていたそうだ。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

この言葉をサッチャー回顧録で知ってから、僕自身もこれがお気に入りの箴言になった。この箴言は「内容」について語っている。思考の中身、言葉の意味、行動の含意、習慣の特性、性格の固有性、運命の堆積性などにたいして、その質的言及をしているのである。しかし、最近はこうした箴言以前の問題が「知識人」から溢れ出ている。日本の知性の低下を感じずにはいられない。

事象に対する批判や反論は大いに結構である。議論を重ねることで人々は理解し合い、物事が改善され、不測の事態の可能性を下げてくれるからだ。人は誰1人として同じ考えや境遇をもたないからこそ、ここに議論の必要性が存在するのである。だからこそ、きちんと議論をしなければならない。

汚い言葉遣いで人を罵倒するようなマネは議論にはあってはならないことである。その話の中身に対して批判や反論がされるべきであり、その発信者に向けられてはならないのである。この議論の初心者にありがちな初歩的なミスが我が国で「知識人」を自称する人々の口の端を汚している。

一国の宰相を「アベ」と呼び捨てにし、「アホノミクス」「頭オカシイ」と蔑み、個人への攻撃が著しい。一部の著名人にしても何人かの野党議員にしても、こうした傾向がある。これがたとえ一国の宰相でなくても、議論の相手を「おまえ」「てめぇ」呼ばわりしたら、議論は成立しなくなるだろう。

語弊を恐れずに言えば、こうした罵詈雑言を伴った批判・反論には一顧だにしないことにしている。この批判・反論は、その対象たる相手をまったく貶めないばかりか、発言者を大いに貶めていると思う。内容で論理的に論破できないから、口汚く罵る。知性の欠落状況である。知性ばかりか、人としての品性すら疑わしい。

議論の前に、議論を成立させる言葉について、まずは品性を疑われないような言葉遣いをしなくては、人の耳を傾かせることは出来ないだろう。たとえ内容が正しくても、罵詈雑言では耳障りな雑音でしかない。

最後に『図解 フィンランド・メソッド入門』で紹介されている小学5年生たちが自ら設定した議論の10箇条を紹介して、今回の投稿を終えようと思う。罵詈雑言も「議論が台無しになるようなこと」である。

① 他人の発言をさえぎらない
② 話すときは、だらだらとしゃべらない
③ 話すときに、怒ったり泣いたりしない
④ 分からないことがあったら、すぐに質問する
⑤ 話を聞くときは、話している人の目を見る
⑥ 話を聞くときは、他のことをしない
⑦ 最後まで、きちんと話を聞く
⑧ 議論が台無しになるようなことを言わない
⑨ どのような意見であっても、間違いと決めつけない
⑩ 議論が終わったら、議論の内容の話はしない