学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

日本と韓国と

民主主義と自由主義の発祥はフランス革命(1789年5月5日~1799年11月9日:寛政の改革が行なわれている頃)に求められる。そのとき、民衆は武装をして政府に立ち向かい、「民権(人民主権)」を勝ち取った。欧州において、国家主権を国王(旧体制)から引き剥がし、政治的主体としてのnation(国民)を形成したのである。やがて、19世紀になると、このナショナリズム帝国主義と結びつき、世界規模で展開されてゆく。

しかし、アジアにおいては、ナショナリズムはそうした帝国主義への抵抗として出現する。欧州列強がアジアへとその触手を伸ばしたとき、アジアの体制側は帝国主義と結びつき、日本の明治維新が典型的であるが、いわゆるアジアの民主主義と自由主義は、エリートの運営する体制側が国内に持ち込んだのである。「国家」や「国民」というものは、民衆の内発的な欲求から実現したものではなく、また、欧州のように帝国主義と民衆が結びつくこともなかった。帝国主義はあちら(政府・体制側)のものだったのである。

第二次世界大戦後、旧植民地各地でナショナリズムが高揚したとき、それは帝国主義への反発として起こったのであるが、一部を除き、同時に冷戦構造という世界的な構造の中にアジア諸国は位置付けられていくことになる。日本でいえば、戦後から60年安保闘争に至るまで、いわゆる知識階級が反米的になって社会主義陣営に対して親近感を抱いていたのは、帝国主義に対する反発であり、その代表格であったアメリカに対する反発からであった。一方で、旧宗主国のイギリスやフランスでは民衆レベルで旧植民地に高い関心を払ってきたのとは対照的に、宗主国と植民地という関係を自力で精算する機会を無条件降伏という形で奪われた日本では、アジア各地の旧植民地については無関心になっていったのである。

中国でいえば、孫文の「三民主義」や「八・一宣言」などの共産党による運動は、アメリカとの結びつきを強める国民党に対するナショナリズムであり、1949年に中華人民共和国が成立してくるが、この一連の出来事は、日本の知識人にとっては共産主義革命というよりもナショナリズム革命であり、「国家」「国民」を形成する過程であったのである。自国にはなかったnationの形成に羨望のまなざしを向けていたのである。ここに60年安保闘争をきっかけに日本に「国家」「国民」の形成を夢見ていたからこそ、60年安保闘争は日本の独立運動として捉えられた。

韓国でいえば、朝鮮戦争という「熱戦」は、世界的冷戦構造の国内的転化であり、南北の内乱は、米中両国の介入によってナショナリズム形成の戦争ではなく、冷戦の代理戦争であった。冷戦イデオロギーナショナリズムに優先した。この中で李承晩ラインを巡る国境線問題で日本と揉める中、1960年の「4月学生革命(来たれ南へ、行こう北へ)」による南北の連帯は韓国のナショナリズムとして理解できよう。しかし、これもアメリカの支援を受けた朴正煕による軍事クーデタによって抑えられ、ナショナリズムは反共イデオロギーに書き換えられていった。こうした陣営構築の中、韓国はアメリカの傭兵としてベトナム戦争へ参戦していくこととなる。

一方で、日本は憲法によって派兵を禁じられていたために、アメリカの傭兵として出兵することができなかったが、代わりに費用を負担した(この構造は1990年の湾岸戦争のときと同じである)。それが1951年からアメリカの強い推進の下に進められてきた1965年の日韓基本条約の締結である。アメリカのアジア戦略において、両輪としてアジアの冷戦構造の中に日韓両国を基礎付けた出来事である。そして、当時の韓国の国家予算の2年分を優に超える総額8億ドルもの日本からの資金提供により、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済的発展を成し遂げた。

したがって、中国を別として、日本と韓国はともに内発的なナショナリズムによる「国家」「国民」の形成において未熟である。この両国の未熟なナショナリズムが今、まさに衝突しているのである。現在の日韓の対立は、日本人の旧植民地に対する関心の低さ(すなわち知識の欠乏)と、韓国人の冷戦イデオロギーからの脱却失敗が基底にあるように思う。かつて帝国を築いた側の責務としての植民地精算を自力でしなかったゆえの日本の特殊性、そして現在もなお米ソ冷戦構造の中に規定されている韓国の特殊性を考えると、両国の課題はまさに「国家」「国民」の形成がともに未成熟であることに拠るものだと解することができる。日韓ともに政治体制への不満を読み取ることもできる。

そして、興味深いことに、時を同じくして、日韓両国とは別の特殊性の中に身を置きながら、「一国二制度」という「国家」の在り方に疑問を投げかけ、「国民」の形成に取り組もうと「内乱」を起こしているのが香港である。次回の投稿では香港のデモについて考察してみようと思う。