学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

罪を憎んで人を憎まず

日大アメフト部の加害者となった男性の記者会見を見て、思うところをつらつらと書いてみようと思う。ちなみに、記録が残るインターネットの特殊性に鑑み、彼の将来を応援する意味でも、ここでは彼の名前などの個人情報は載せないので、もし、コメントする人は留意して欲しい。

まず、厳しいことを言うようだが、「ごめんで済むなら警察はいらない」という慣用表現があるように、彼のしてしまったことは消えない。彼自身の言葉で言えば、どんな経緯があったにしろ、「してしまったのは自分」なのだ。「殺せ」と命令されても殺さないのが普通の感覚のはずだ。

とはいえ、この認定はすごいことだ。彼が酒に酔って記憶がなかっただの、籍があるなら戻りたいなどと言わずに、自分のしたことだと率直に認め、アメフトはもうやらないと言い、自分のことだけで今は精一杯で他者のことまでは頭が回らないと批判を回避し、そして目の前のことに精一杯で未来のことは何も考えられないとしたところは、某元アイドルとは雲泥の姿勢であったと思う。

もっとも、今回の例のように、就職先や今後の部活動を握られてしまっては、高校時代から一途に好きなスポーツに打ち込んできた純粋な気持ちを考えると、彼には他に選択肢はなかったとも受け取れる。このあたりを世論は汲み取っている。実際、好きだったアメフトを好きではなくなってしまったという彼の発言には、胸が詰まる思いであった。

彼が犯した過ちは過ちとして消えないとしても、顔と名前を全国に晒しての異例の記者会見で社会的制裁を既に受け、そして充分に反省をしているなら、情状酌量の余地は多分にあるだろう。そうした世論はしっかりと形成された。もちろん、被害者本人を筆頭とした被害者側の気持ちが最優先されてしかるべきではある。映像を見る限り、被害者側に非は一切ない。

また、前途ある若者だから、まだ先の長い人生があるからというのは、的外れな擁護論だと思う。自己の身勝手な都合で快楽的に犯罪をした若者が、更生の余地はないから死刑だの終身刑だのという世論も耳にするからだ。法は等しくなければならない。若さや前途を云々するのではなく、やはり、擁護すべきは、他に選択肢がなく追い詰められていた点(広義での自己防衛であった点)、事後に深い反省をしたという点である。そして、無罪放免ではなく、情状酌量をした上での処罰が適当であろう。

さて、こうして事件を振り返ってみると、教訓がある。ある集団(組織)内にだけいると、世間の常識から乖離してしまうことがあるという教訓だ。少し冷静になれば簡単に分かることでも、ある集団の中にいて、他との接触が少ないと、そこでの異常性に気がつかなくなる。今回の事件でも、日大アメフト部というのが彼にとって全世界であったのだ。「事件」となって集団の外に出て初めて、自分のしたことの恐ろしさを認識したとみることも出来るだろう。

良識と常識」の記事でも書いたが、常識はとてもあやふやなものである。自分の周囲だけが世間、その世間が世界のすべてだとならないよう、学校や会社の外に出てみることも、きわめて重要なことだと思う。こういう教訓を得た次第である。今回の記事では日大のていたらく、不始末は書いていない。それは本人による弁明がまだないからだ。日大の対応が出てきたら、その時にまた教訓があったら書いてみたいとも思うが、彼らに学ぶところは少ないように思う。