学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

デモはデモでもデモ違い

安全保障関連法案をめぐって、国会周辺で、あるいは日本全国あちこちでデモが行なわれている。多く報道された場面で、「国民の声を聴け」とか「国民の声を無視するな」と叫び、反対として集まった群衆の大きさを誇張して伝えていた。17日に参議院の委員会を通過すると、野党議員が「手続きを無視した」だの「国民を見ていない」だのと主張していたが、みんな、勘違いをしている。

まず、デモというのは、demonstration の訳で、意味は「示威行為」である。「ある特定の意思・主張を持った人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為」である。「示威」、つまり、威力や気勢を他に示すことであり、広い意味での「脅し」の一つである。この示威行動は、やり方によっては世論を動かす源にもなる。自らの命を人質に要求を突き付けるハンガー・ストライキを含めて、どちらかといえば、暴力的な行為である。

demonstration の語源は、de (完全に)+ -monstr (示す)+ -ation(名詞化語尾)であり、接頭辞の "de" は「強意」「強調」である。一方で、Democracy (民主主義)のほうはといえば、「民衆」を意味する「demo(dem)」と、「支配」を意味する「-cracy」で成立する言葉である。日本語だと「デモ」で同じ言葉に思えるが、デモとデモクラシーはまったくの別物であるということを確認しておきたい。したがって、デモを否定したところでデモクラシーの危機は訪れない。

誤解を恐れずに踏み込んでいえば、政治がデモや世論で決められては民主主義が滅ぶのである。デモや世論に押されて政治が何かを決定したとしたら、それこそ暴挙であり、民主主義の死を意味する。そんなもので決められてはならない。デモや世論が意味を持つのは、その後に来る「選挙」に影響を及ぼすからであり、デモや世論そのものではない。デモが何万人を集めたかはカウントの問題もあり定かではないが、現在の国会の政党構成は、直近の選挙における6000万人の総意である。

憲法43条1項は「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを構成する」とあり、この議員による国民の代表行為によって政治が決められると明確に規定している。としたら、デモや世論によってその決定が覆されるなら、その時こそ立憲政治が否定され、議会政治が否定され、直近の選挙で示された「民意」が否定されたことになるのである。デモをしてもいいし、世論を形成するように頑張ってもいい。その結果として次の選挙で今の政権を追い出し、新たな政権を作って今般の法律を改廃すればいいだけのことだ。それが民主主義というものである。繰り返しておくが、正当な手続きとしての民意は選挙という制度に拠るのである。何万人、あるいは何十万人程度の「民衆の声」で政策が決定されたら、それこそ民主主義ではない。

17日の参院委員会での採決後にインタビューに応じた野党議員の言葉に「憲法クーデター」、「独裁政治」、「暴挙」、「暴力的な採決」、「強行」、「議会政治は死んだ」などがあるが、デモ参加者ならともかく、国会議員が過激な言葉を使うことについては、その良識を疑う。クーデターや独裁政治がどんなものか知っているのだろうか。もし、そんな世界なら、野党議員もデモ参加者も粛清されていただろう。こうした言葉遣いこそ暴挙であり、暴力的である。「議会政治が死んだ」のだとすれば、その一方の当事者である自覚はあるのだろうか。言葉を軽々しく使っている。

それと、横浜での公聴会で「多数決主義は民主主義ではない」というのもあった。多数決で決めることが強行採決だというのならば、我々人類には他に代わりうる合理的手段を見つけ出していない以上、なにも決められなくなる。もちろん、満場一致を目指すべきであるし、民主主義=多数決ではない。しかし、限られた時間の中で政策決定をしていかなくてはならない現実があるとき、多数決はもっとも合理的な解決策として、世界中の民主主義国で採用されている手段である。だから、「強行採決」の指摘はまったく当てはまらない。

ついでに書いておくと、平成27年7月27日の産経新聞によれば、「民主党政権の約3年3カ月の間に、衆参両委員会で法案や条約承認の強行採決は少なくとも24回行われた。本会議を含めれば、数はさらに増える」そうだ。また、「衆院選自民党圧勝を経て17年10月に成立した郵政民営化法案の審議時間は、衆院の正確な記録が残る昭和50年以降で歴代3位の120時間を超えた。今国会の安保関連法案の116時間をも上回ったが、民主党政権は郵政の公的性格を強める内容の郵政改革法案を審議入り当日の6時間の審議だけで採決した」そうなので、「審議不足」も批判に値しない。