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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

そもそも政党とは

政治論考

今回は政党について考察をしたい。Wikipediaによると、次のように定義されている。

政治において政策や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、政策の実現に向けての活動として、政権を担当もしくは目標とし、議会の運営の基本単位になるなどを行う組織または団体のことを指す。(中略)政党の機能としては、まず社会内部の様々な利益を集約し、政治へと反映させる機能がある。(中略)また、政党が集約した分かりやすい政策や争点を市民に提示することで、市民の政治への理解・参加を促進させる機能も持つ。

ここにあるように、政党は国家の組織・制度ではなく、あくまでも「結社の自由」による私的な人々の集まりである。一定の条件を満たせば国家からの助成を受けることもあるが、基本的には結党は自由である。これは国家の政治として見るから何か特別なように思えるが、会社や学校の中にも派閥やグループが形成されるように、一定の集団になれば普通に存在してくる現象である。政党の特徴としては、その目的が「国家の政権を担当すること」にあると言えよう。

冒頭の定義からも分かるように、『政策や主張に共通点のある者同士』が集まって徒党を組むわけであるから、伝統的にその名称は主義主張を反映したものになる。保守党、労働党、共和党、社会党共産党など、大枠でどのような国家を目指しているのかを表現していることが、かつての普通であった。そうでなければ、意見を集約していくことも、国民に分かりやすく説明していくことも難しくなるからだ。

そして、さらに引用すると、

そして選挙によって勝利した政党は与党として政権を担当し、敗北した政党は野党として与党の政策の不備な点を批判し、監視・修正させる機能を持つ。この与 党・野党は民主主義国家であれば選挙結果によって当然入れ替わりを生じるため、政党には政権担当能力・政権批判能力のどちらも保持していることが求められ る。

となっている。たとえ選挙の結果で政権を担えなかったとしても、政府に修正や撤回を求めたりしていくことで部分的に政権運営に影響力を及ぼす。この意味で、日本の共産党候補者の立て方は、各選挙区において候補を立てることが多く、実現するかどうかはともかく、真剣に政策を目指して政権を取りに行こうとしている気概が見えていた。逆に、立候補者全員が当選しても過半数に遠く及ばない政党の場合には、あくまでも補完政党としての役割しか期待できないし、部分的に何か特定の政策についての意見を持っていることが多い。総合的な政党とは異なり、政策的な政党である。ドイツに誕生した「緑の党」などは環境問題に特化した政党である。

自由民主党のポスターのキャッチ・フレーズは『この道を、力強く、前へ』であるが、「この道」とはアベノミクス政策のことであり、従来までの政策への自信の表れでもある。変える必要はないとの認識なのだろう。アベノミクスをよしとする人はこのフレーズで投票するだろうし、よしとしない人は投票しなければいい。全員が賛成する事柄はないのだから、支持も不支持も当然にあるだろう。

一報の民進党のポスターのキャッチ・フレーズは、『まず、2/3をとらせないこと』である。何を言っているんだと思いました。「まず」の使い方がおかしい。「まず○○を実現したい」というのがあって、そのために「2/3を阻止する」ならば分かる。100歩譲って、「まず、とらせない」のは分かったが、その後にどうしたいのか、つまり肝心なる政策が全く見えてこない。なにを争点にして選挙戦に臨もうというのか。一人の有権者として、政策選択の機会を奪われたような感覚である。現政権に反対をして、その上で自分たちは何を実現しようというのか、ここを語らなければならないのではないだろうか。

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冒頭で引用したWikipediaの記事に拠れば、『社会内部の様々な利益を集約し、政治へと反映させる機能』があり、『政党が集約した分かりやすい政策や争点を市民に提示することで、市民の政治への理解・参加を促進させる機能』を持っているのが政党である。集約、反映、提示の3点において、もはや定義に即していない集団を政党と呼び、選挙に臨まなければならない一人の有権者として、悲しい現実である。

そして、歴史に残る18歳選挙権が初施行される今般の参議院選挙としても、悲しい歴史のページを刻むことになる。