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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

主権者として考えよ

政治論考

陛下の生前譲位にまつわるニュースが14日(木)午後7時、NHKによりスクープされた。まず、指摘しておきたいことは、この話題はスクープ記事には馴染まない。宮内庁の公式発表を待つべき内容であり、宮内庁への取材を進めていく中で宮内庁声明として引き出す性質のものである。海外メディアも一斉に報道したが、それほどの内容である。また、スクープされても陛下も宮内庁も困る内容であって、スクープ記事を出せばスクープ内容が白紙に戻ってしまうような性質を持つ。

まず、生前譲位に対する陛下のお気持ち表明は、きわめて政治的性質を伴う。陛下の発言が政治的影響力を持つことは、現行立憲主義の立場から不適当である。陛下の政治利用は君主制民主主義を否定するものである。政治的責任とその追及を陛下に負わせないために、陛下は政治的中立のお立場にある。政治的責任とその追及は、内閣が負うのであって、だから陛下の公的活動にはすべて「内閣の助言と承認」を必要としているのである。陛下の国事行為に問題を生じても、「助言と承認」を与えた内閣に責任がある。

また、江戸時代に徳川幕府に対する政治的圧力として天皇退位があった。徳川将軍家天皇による任命があって初めて成り立つ体制であり、要求が通らないなら譲位すると迫ることは、政権に対する大きな牽制となる。もっと歴史を遡るなら、天皇天皇を退位した上皇との間で紛争(内乱)になったこともあった。だからこそ、天皇の退位は「崩御された時(亡くなった時)」として、人の意思の介在の余地をなくしたのである。

したがって、ご高齢の陛下を慮ってご公務のご負担を減らすべく、お気持ちを伺った上で譲位を可能にするというような流動性・柔軟性のあるかたちでの譲位は許されてはならないことである。かつて皇族の一部から意見が出て物議を醸したことがあるが、「定年制の導入」であれば、人の意思が介在する余地はない。また、一世一元制の元号についても、「いつ変わるのか」が明らかであれば産業界としても混乱は生じないであろう。皇族から出た意見だから物議を醸したのであって、「定年制」自体は論議に値する提案と思う。

現在の陛下の人柄や人格に依る制度設計は禁物である。不敬を承知で言えば、美濃部達吉が提唱していたような「天皇機関説」は、天皇に人性や人権を認めず、制度機関として扱ったところに抵抗感を感じる人も多いが、天皇を国家の象徴とし、人性を奪っているのは、現行憲法でも同様である。憲法の第1章に天皇が来て、その後(第3章)に国民主権が示されることから、定義の段階からして天皇は国民の枠組みから外れているのである。そして、その主権者たる国民による立法(第4章国会)、その立法に基づいて行動する行政(第5章内閣)、その行為が法に違反していないかチェックする司法(第6章裁判所)の順で定められていることは、きわめて論理的なのである。

したがって、「陛下のお気持ち」を勘案することは、恣意的な退位を可能にする道を開くことにも繋がり、そもそもそうした発言自体が皇室典範などの法律改正を要求していることになり、政治的にはきわめて大きな問題となる。これは「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の根幹に関わる。皇室が安泰に末永く続くためにも、政治的闘争から離れた地位にいることが必須である。ケース対応による感情的な議論は廃し、理性的に対応しなければならない。もちろん、その理性的対応の動機は感情的なものでかまわない。

だから、「陛下のお気持ち」ではなく、国民一人一人が主権者として法制度を主体的に定めていこうとしなければならない。陛下が年齢や体力的に大丈夫だと主張しても、体を労ってごゆっくりとお過ごしくださいというような制度設計をするべきであろう。象徴として存在している以上、制度として存在している以上、そこには生物としての人間性は考慮されていない。健康問題や年齢問題は考慮されていないのである。

昭和天皇崩御される直前まで、宝算87歳まで現役の天皇で国事行為に当たられたことは、国民として、その国家統合の象徴に対する態度・姿勢がどうなのかと自問するべき内容に思う。今上陛下も82歳になられた。今回のスクープをきっかけにしたとしても、国民が自らの問題としてきちんと敬意を持って、象徴としての勤めを長年果たされてきた陛下に対し、考えなければならない問題であろう。当然、皇位継承についても、生まれによって自動的に継承順位が定まるような、つまり、政争の具とならないような設計が必要であろう。

蛇足ではあるが、皇太子殿下ならびに同妃殿下が頼りないというような論調をたびたびネット上で見かけるが、今上天皇がご即位された時にも、同様の論調があったことを付記しておきたい。先帝は馴染みもあり、偉大でもあるのだ。だから、このような論調は感傷的なものであり、考慮に値しないと思う。