学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

成人式に寄せて

昨日と今日に掛けて、全国で成人式が挙行された。もう風物詩ともいえるが、全国から新成人が逮捕されるというニュースが寄せられている。こうした風景から成人式を行政府が挙行する意味はあるのか、税金を投入してまですることかという批判が上がる。しかし、僕はその批判は的外れと思う。

今年、成人式を迎える人口は121万人。そのうちの逮捕者は十数人あるいは数十人程度であろう。121万人もいれば、そのうちの1%はおかしいのがいても不思議ではない。それでも1.2万人である。このうち、全国ニュースになるほどの「凶悪」なものが数十人であれば、そのようなものかと思う。そして、おかしな恰好をした人が1.2万人いて、それが目立つから話題に上っているに過ぎない。

まともな大勢の人々を社会全体でお祝いしてあげることはよいことである。そもそも、少子化だの子供は社会の宝だのという理由で行政は子育て支援をしているわけで、そのいわば「卒業式」に当たる成人式をお祝いしてあげることは、良いことだと思うからである。昔は夭折してしまうケースが多く、無事に立派に成人を迎えたということは感謝とともに大きな喜びであった。医療の発達があり、現在はこのような理由は薄れたとは思うが、その習慣が素晴らしい精神に基づいている以上、廃止する理由はない。

それにしても、新成人121万人というほうが気になる。20歳~26歳のところで120万人台、27歳~29歳が130万人台、だんだんと増えていってピークは42歳で200万人を超える(43歳以降は180~190万人台で推移する)。逆に、19歳は110万人台で、以下、だんだんと減っていく。11歳以下は100万人台である。統計データのある2014年の出生数は100万4000人である。昔ほどではないにしろ、病気や交通事故で亡くなる子供がいることを考えれば、2034年の成人は100万人を下回るかもしれない。

もう1つ、ニュースを見ていて感じたことがある。

今年から選挙権が拡大されて18歳から投票に行くことになる。そして、民法など他の法律も調整されていく。すると、成人式は18歳になるのだろうか。18歳になる方が自然な感じがする。その移行期は3つの年齢での合同成人式なんてこともありうるのかもしれない。しかし、成人式が社会に出る年齢だとされていた過去の経緯を思えば、逆に22歳でもいいのだろうか。あるいは、中卒で働く人もいることを思えば、15歳でもいいのかもしれない。

とかく、慣習や風俗で引き継いできたものは形ばかりが先行して中身への検討が薄れてしまう。だから、成人式とは何か、成人とは何か、成人するとはどういうことか、といったような中身について、大人を含め、各人が考えてみるべきであろう。世の中の大人もけっこう子供である。と書いていて、ここでも疑問。「大人」とは何だろうか。成人式のニュースを見た後に、改めて各人で問いかけて見てほしい。