学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

トゥキディデスの罠と国際秩序

紀元前5世紀、新興のアテネと、それに対抗する既存勢力のスパルタとの間にぺロポネソス戦争が起きた。ここから歴史家のトゥキディデスは「新興の大国は必ず既存の大国へ挑戦し、既存の大国がそれに応じた結果、戦争がしばしば起こってしまう」との法則を見出した。この法則を「トゥキディデスの罠」という。トゥキディデスは、「戦争を避けられなかった原因は強まるアテネの力と、それに対するスパルタの恐怖心にある」と指摘した。アテネとスパルタの戦争は、30年も続いた末に、両国とも滅びる結果となった。

これは歴史上15回起きたと言われているが、そのうちの11回で戦争へと発展している。近いところでは新興のドイツによる既存のイギリス帝国への挑戦であった。この時は1914年と1939年の2回にわたって世界大戦を引き起こした。イギリスの築いた世界秩序に対するドイツの挑戦であった。

現在、中国の習近平国家主席がアメリカを訪問している。最初の訪問地シアトルでの演説で、習主席は「新型大国間関係 “the new model of major country relationship” 」を打ち出している。この「新型大国間関係」は目新しいものではなく、また習主席の発案でもない。しかし、習主席はこれを格上げし、外交の基本姿勢に掲げている。これはアメリカから見れば「世界を両国で分け合おう」というものであり、一極支配の現状からすると、あまり好ましく響かないであろう。

中国をアテネにすることなく、またアメリカをスパルタにすることなく、「トゥキディデスの罠」に嵌まることのない新たな国際秩序の構築を提案している。これにはある程度の現実性がある。米国は最大の先進国であり、中国は最大の発展途上国である。しかも、世界第1位と第2位のGDP大国である。また、中国にとって、米国は最大の輸出先と第三位の輸入先であり、米国にとって、中国は最大の輸入先と第三位の輸出先である。経済のグローバル化によって、単純な競争関係ないし敵対関係ではないのである。

このことをアメリカに意識させるためか、今回の訪米で、習主席が最初に行なったのはボーイング社への訪問で、4兆5700億円に及ぶ契約を交わした。中国がアメリカの雇用を支えている構図を際立たせた。他にも、13億人の市場規模もアピールしている。こうした経済を背景にした中国外交は、オバマ大統領に「アジアへの回帰」政策の転換を迫っている。「アジアへの回帰」政策は中国封じ込め政策であり、既存の勢力による新興勢力の押さえつけである。「アメリカよ、怯えるな。我々の経済はこのように一体化している。互いに協力し合って世界を分かち合おう」とのメッセージである。

このあたりは、さすがに中国だなと思う。外交が日本に比べるとはるかに深遠である。国益を充分に見据えたうえで、国際秩序をも視野に入れて青写真を描いている。こうした壮大なスケールでの立案は、日本では明治維新期だけではなかろうか。しかし、同じ今回の出来事から、現代中国の底の浅さも同時に感じる。このようにあからさまで露骨な恫喝をするようなことは、かつてなかったように感じる。むしろ、こうしたものを相手側に意識させずに自らの望む方向に呑み込んでいくのが中国ではなかったか。中国の国内事情として、習主席に余裕がないのだろうかと勘繰ってしまう。

いずれにせよ、世界に最も影響力を与える重要な2国間関係が、今回の習主席の訪米でどのようになるのか、アメリカの反応はどのようであるのか、注視していかなくてはならないだろう。国力が低下している日本にとっては気の重くなる問題である。