学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

香港のデモについて

今、香港で起きているデモは、民主主義と自由主義を守る戦いである。前回の投稿記事で書いたように、民主主義と自由主義には「人民の武装」がセットになっている。政府の横暴に対して武力を持って反抗していった経緯がある。だからこそ、米国では民間人による銃の保持は「権利」であり、度重なる銃犯罪に遭いながらも、銃規制はいっこうに進まない。また、スイスの民兵制度、中国の人民解放軍も同様である(共産主義はあくまでも民主主義の一形態である)。人民の武装は民主主義や自由主義を守るものなのである。

もちろん、体制に不満があり、人民主権を行使するたびに血を流してはおられないから、人類の叡智は「選挙」という平和的革命手段(政府転覆手段)を発明した。投票用紙は英語ではballotというが、これの原義は「小さい弾」であり、bullet(弾丸)と語源を同じくする。だから、民主主義と自由主義においては、「リヴァイアサン(巨人)」たる国家と比肩しうる武力を民衆は持たねばならず、いざとなれば武装蜂起するという前提がある。

ところが、20世紀も後半になると、国家の持つ武力の高度化により、民衆との武力的緊張関係が緩くなってしまった。民主主義と自由主義においては、政府と民衆が拮抗する武力を持つという武力的緊張関係が2つの主義を機能ならしめるものであったたため、武力的緊張関係が緩くなると、民主的な国家は機能不全に陥る。この意味で、今、香港で起きていることはフランス革命の構図に近く、香港の人々がきわめて政治的であり、「国民」として成熟していることを示している。

香港は長く英国の植民地であった歴史を持ち、1997年まで英国式の民主主義制度に親しんできた文化が根底にある。そして、中国への返還と同時に「一国二制度」という人類未到の新しい仕組みの中で、騙し騙しなんとかやってきたことへのツケが回ってきたのである。犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案という、まさに人身の保護、身体の自由を巡っての対立がきっかけであった。

香港でのデモが暴力的になっているのは、まさに香港政府と香港の人々の武力が拮抗して緊張状態にあるからであって、まさに初期の人民革命の様相を呈しているように見える。ここに中国政府が圧倒的な武力を投入すれば香港の民主主義と自由主義は破壊されてしまうが、旧植民地に非常に高い関心を寄せている英国、その盟邦としての米国の監視がある以上、軽々には中国政府も動けない。中国政府にとっては内政干渉だが、英米にとっては民主主義と自由主義の戦いという普遍的なものであり、英国においては旧宗主国として介入は義務というような意識もある(連日に渡るBBCの詳細なレポートが放映されている)。

香港でのナショナリズムは、中国の傀儡政権としての香港政府への反抗であり、香港政府の後ろに控える中国政府に対する反抗である。英国国籍を失い、かといって「一国二制度」の中で中国人としてのアイデンティティも持てない香港の人々にとって、今回の出来事は、香港という「国家」、香港人という「国民」を形成するプロセスであるように思う。英米の睨みによって中国が介入しなければ香港のナショナリズムは成功するであろうが、「中国」「中国人」というナショナリズム英米への抵抗で作り上げ、冷戦期に英米(中国にとっては今も帝国主義に見える:経済的帝国主義)との戦いを生き抜いた中国にとっては、英米の睨みは、ナショナリズムが未成熟な日本が感じるような強いものではなく、歯止めとしての効果も高くはないだろう。

かといって、中国においても、天安門事件(1989年)のときのようにはいかない。インターネットによる人民の連帯は、2010年のチュニジアで起きた「ジャスミン革命」のように強力であり、情報統制が効かず、圧倒的武力を持つ中国政府とはいえ、14億を超える中国人民の連帯(人海戦術)の前には、皆殺しにするわけにはいかず、政府と人民との「武力の拮抗」という武力的緊張状態を招く恐れがある。古代より歴代の中国王朝は人民武装蜂起によって倒れてきている。すなわち、中国においては、英米の睨みというよりも、国内問題として介入の是非が判断されるであろう。

さて、翻って日本であるが、政府と人民の武力的緊張状態は、かつて、人類史上例を見ない形で実現されかけた。憲法による国家の武力放棄である。これは、政府も国民も武装解除するということであり、ある意味で武力的バランスがとれ、政府と国民との間に緊張状態を作り出していたかもしれない。しかし、現実には政府は武装を再開し、現状では国家と国民の間には武力的緊張状態は、圧倒的格差を前にしてバランスを欠いて緩衝状態である。

憲法改正、はっきりと言えば9条を巡る問題は、この意味で、きわめてナショナリズムの問題であり、「国家」「国民」を形成するプロセスに関わる革命的な内容を含むものである。だからこそ、憲法9条を巡る問題は、国民一人一人が政治化し、その是非を問わなければならないものである。そのときの情勢、とりわけ国際情勢にのみ目を奪われて判断するのではなく、きわめて政治的に、主権を持ち、それを行使する「国民」としての責務の中で、自覚的に取り組まなければならない。ナショナリズムを愛国精神に貶め、偏狭な視野で感情的にナショナリズムを排除するのではなく、正しく「公民」として取り組んでいかなければならないと思う。これが成せたとき、未成熟な日本の「国家」「国民」「ナショナリズム」が欧米とは異なる形で成熟するであろう。香港での「国家」「国民」「ナショナリズム」に共感を覚えず、無関心でいるうちは、日本は未成熟である。

日本と韓国と

民主主義と自由主義の発祥はフランス革命(1789年5月5日~1799年11月9日:寛政の改革が行なわれている頃)に求められる。そのとき、民衆は武装をして政府に立ち向かい、「民権(人民主権)」を勝ち取った。欧州において、国家主権を国王(旧体制)から引き剥がし、政治的主体としてのnation(国民)を形成したのである。やがて、19世紀になると、このナショナリズム帝国主義と結びつき、世界規模で展開されてゆく。

しかし、アジアにおいては、ナショナリズムはそうした帝国主義への抵抗として出現する。欧州列強がアジアへとその触手を伸ばしたとき、アジアの体制側は帝国主義と結びつき、日本の明治維新が典型的であるが、いわゆるアジアの民主主義と自由主義は、エリートの運営する体制側が国内に持ち込んだのである。「国家」や「国民」というものは、民衆の内発的な欲求から実現したものではなく、また、欧州のように帝国主義と民衆が結びつくこともなかった。帝国主義はあちら(政府・体制側)のものだったのである。

第二次世界大戦後、旧植民地各地でナショナリズムが高揚したとき、それは帝国主義への反発として起こったのであるが、一部を除き、同時に冷戦構造という世界的な構造の中にアジア諸国は位置付けられていくことになる。日本でいえば、戦後から60年安保闘争に至るまで、いわゆる知識階級が反米的になって社会主義陣営に対して親近感を抱いていたのは、帝国主義に対する反発であり、その代表格であったアメリカに対する反発からであった。一方で、旧宗主国のイギリスやフランスでは民衆レベルで旧植民地に高い関心を払ってきたのとは対照的に、宗主国と植民地という関係を自力で精算する機会を無条件降伏という形で奪われた日本では、アジア各地の旧植民地については無関心になっていったのである。

中国でいえば、孫文の「三民主義」や「八・一宣言」などの共産党による運動は、アメリカとの結びつきを強める国民党に対するナショナリズムであり、1949年に中華人民共和国が成立してくるが、この一連の出来事は、日本の知識人にとっては共産主義革命というよりもナショナリズム革命であり、「国家」「国民」を形成する過程であったのである。自国にはなかったnationの形成に羨望のまなざしを向けていたのである。ここに60年安保闘争をきっかけに日本に「国家」「国民」の形成を夢見ていたからこそ、60年安保闘争は日本の独立運動として捉えられた。

韓国でいえば、朝鮮戦争という「熱戦」は、世界的冷戦構造の国内的転化であり、南北の内乱は、米中両国の介入によってナショナリズム形成の戦争ではなく、冷戦の代理戦争であった。冷戦イデオロギーナショナリズムに優先した。この中で李承晩ラインを巡る国境線問題で日本と揉める中、1960年の「4月学生革命(来たれ南へ、行こう北へ)」による南北の連帯は韓国のナショナリズムとして理解できよう。しかし、これもアメリカの支援を受けた朴正煕による軍事クーデタによって抑えられ、ナショナリズムは反共イデオロギーに書き換えられていった。こうした陣営構築の中、韓国はアメリカの傭兵としてベトナム戦争へ参戦していくこととなる。

一方で、日本は憲法によって派兵を禁じられていたために、アメリカの傭兵として出兵することができなかったが、代わりに費用を負担した(この構造は1990年の湾岸戦争のときと同じである)。それが1951年からアメリカの強い推進の下に進められてきた1965年の日韓基本条約の締結である。アメリカのアジア戦略において、両輪としてアジアの冷戦構造の中に日韓両国を基礎付けた出来事である。そして、当時の韓国の国家予算の2年分を優に超える総額8億ドルもの日本からの資金提供により、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済的発展を成し遂げた。

したがって、中国を別として、日本と韓国はともに内発的なナショナリズムによる「国家」「国民」の形成において未熟である。この両国の未熟なナショナリズムが今、まさに衝突しているのである。現在の日韓の対立は、日本人の旧植民地に対する関心の低さ(すなわち知識の欠乏)と、韓国人の冷戦イデオロギーからの脱却失敗が基底にあるように思う。かつて帝国を築いた側の責務としての植民地精算を自力でしなかったゆえの日本の特殊性、そして現在もなお米ソ冷戦構造の中に規定されている韓国の特殊性を考えると、両国の課題はまさに「国家」「国民」の形成がともに未成熟であることに拠るものだと解することができる。日韓ともに政治体制への不満を読み取ることもできる。

そして、興味深いことに、時を同じくして、日韓両国とは別の特殊性の中に身を置きながら、「一国二制度」という「国家」の在り方に疑問を投げかけ、「国民」の形成に取り組もうと「内乱」を起こしているのが香港である。次回の投稿では香港のデモについて考察してみようと思う。

歴史に学ぶ

第一次世界大戦以降、戦争による甚大な被害や総力戦となった壮絶さへの恐怖から、世界は平和を希求し、とりわけヨーロッパでは「あらゆる戦争に対して無条件に反対する」というような風潮が生まれた。そして、第一次世界大戦への反省と平和主義から、国際連盟1920年)、ジュネーヴ議定書1924年)、不戦条約=ケロッグ・ブリアン条約(1928年)と、立て続けに平和構築への模索がなされた。

そして、「1320億金マルクという天文学的賠償額を要求し、全植民地と領土の13パーセントを剥奪、戦車・空軍力・潜水艦の保有禁止、陸軍兵力の制限(10万人以下)、参謀本部の解体、対仏国境ラインラント地域の非武装地帯化など、ドイツの経済や安全保障にとって非常に厳しい」(Wikipediaより引用)ヴェルサイユ条約は、追い詰められたドイツをしてヒトラー率いるナチスを民主的な手続きによって生み出した。

その後、ナチス・ドイツヴェルサイユ条約を一方的に破棄して再軍備を進め、ラインラント進駐(1936年)、オーストリア併合(1938年)をし、チェコスロバキアズデーテン地方を要求するにいたっては、英仏独伊4ヶ国会議(ミュンヘン会談)でこれを認めてしまった。当事者のチェコスロバキアは会議に招待もされていない。この時、イギリスのチェムバレン首相は戦争を回避し平和を呼んだ英雄として称えられている。

そして、ナチス・ドイツチェコスロバキアを解体し、一部を保護国化、一部を同盟国のハンガリー王国に併合した後、残るチェコ本体もドイツに併合して、チェコスロバキア全体を手中に収める。ミュンヘン会談の合意を踏みにじる暴挙に対して、ようやく英仏が抗議の声を上げるも、具体的な軍事行動は採らなかった。そして、ドイツによるポーランド侵攻をきっかけにして、第二次世界大戦が始まったのである。

こうしたチェムバレン首相の宥和政策にたいしては、賛否両論がある。世界恐慌への対応にあえぐブロック経済の中にあって、当時の英国は、軍備を整えて経済的に破綻するか、軍備を整えずに軍事的に破綻するかの二択状態であったと言われている。賛成派はその間の時間稼ぎの側面を高く評価する人々である。一方で、チャーチルに代表される反対派は、「宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」(『第二次世界大戦回顧録』)というのである。

この時の教訓は、現代もなお生きている。湾岸戦争(1990年)やイラク戦争(2003年)の時、早期の段階での開戦を英米主導で行なったのは、この教訓に従ったためである。ブッシュ大統領は、父も子も、開戦の正当性にヒトラーへの宥和政策の失敗を根拠に挙げている。

さて、今の日本を取り巻く環境はどうであろうか。第二次世界大戦への反省から強固な平和主義になり、隣国に対して宥和政策を採り続けてきた。あるいは、北朝鮮に対する世界的な宥和政策もある。戦争という暴力的措置に出るかどうかはともかく、宥和だけではなく毅然とした強い態度で外交に臨むということも必要であろうと思う。でなければ、歴史の教訓が示すような、もっとひどい結末を迎えることになるかもしれない。我慢の限界(国民の生命と財産の安寧の限界)が近づいてからやむを得ずというのではなく、傷口が広がらないうちに問題に対処することも必要なのではなかろうか。

AIのつくる未来

今月初頭、人工知能(AI)分野の人材育成を進めるため、文部科学省は今秋、全ての大学でAIの基礎を学ぶことができるよう全国共通のカリキュラム(教育課程)を作成すると発表した。ビッグデータ活用を学ぶ大学の事例などを参考に文系、理系の枠を超えた教育内容とし、早ければ来春から一部大学で先行実施する予定だ。将来的には、毎年、全大学の1学年全員にあたる約50万人の学生がAIを学習する体制を目指す方針である。また、2020年にセンター試験に変わって実施される大学入学共通テストに、文系理系に関係なくプログラミングなどの情報科目が導入されるようだ。

基本的学力が「読み・書き・そろばん(算数)」に加えて「プログラミング」ないし「人工知能の基礎」としていよいよ認識されてきたと言えそうだ。オクスフォード大学のオズボーン氏が「消える職業と新しい職業」と表していたものとして、「データマーケター」とか「データサイエンテスト」というような職業も生まれてきた。これらはマーケティングへの理解を大本としつつも、ビッグデータや統計、プログラミングなどへの理解を基礎としている。

最近、文系の僕自身にもこうした情報技術に関する仕事が増えてきて、理系文系を問わないAIという時代の波を感じる日々である。そこで、少しばかりデータ・マーケティングをかじったところで、ふと感じたことがある。データ・マーケティングビッグデータを徹底的に分析して消費者の趣向や行動を予測し、先回りして購買を促そうという仕組みである。

身の回りのものを見てみると、なるほど、どの会社もよくデータ・マーケティングをしていると思わせられる。データ分析を通して「もっとも売れるもの」を形作るから、どこも似たり寄ったりの製品で溢れている。車を例にとっても、トヨタらしさ、日産らしさ、ホンダらしさ、ダイハツらしさ、スズキらしさがなくなっており、車にあまり興味のない人からすると、区別するのが難しい。スマートフォンしかり、洋服しかりである。どの製品をとっても、あるメーカーらしい奇抜さや独特さが消えて、皆、マイルドである。

これは何も造形物に限らない。たとえば、テレビ番組でも同じだろう。どこのチャンネルに合わせても、似たような番組編成や番組企画である。こちらは視聴率というデータに基づいている。

「売れる!」ということが唯一のモノサシとして闊歩し、売れなくても「売りつける」というような事態まで横行しているように思う。これはもちろん、少子化による人口減少で、黙っていても一定数の「顧客」を確保できた昔と違って、「購買者」を奪い合う様相を呈しているからであろう。このことは利潤追求の企業に止まらず、地方自治体でも同様だ。減少する人口を前にあれこれと政策を打ち出して、パイの小さくなった人口を奪い合って地方活性化としている。

いろいろなところがユニバーサル・デザインになり、コモデティ化が進み、「面白味」や「野心的」な要素が薄まってしまった。これに対応するのが「ニッチ」だが、そこまで「特殊」へ軸を行かずとも、もう少し「個性」を出してもいいように思う。そう、「個性的」な要素を感じられない世の中になってしまったような、「薄味」なのである。一方で、YouTubeで流行るものは「個性的」である。

小学生のなりたい職業が「YouTuber」という結果もあるが、「薄味」に物足りなくなった人々が「個性」を求めているのかもしれない。ざっとの観察でしかないが、YouTuberは「自分のやりたいこと」をやっている。個性的なのである。そして、その発信者は個人であり、ビッグデータ分析はしていない。だから、時に「炎上」もするのであろう。

何事においてもバランスは重要であるが、今の世の中、データ化が進んで画一的になってきた。皮肉にも、多様性を謳うということが画一的に為されている。「多様性の尊重」というところに誰も反対せず、画一的な価値観となっている。本当の意味で多様性が存在するようになり、個性が出て、それぞれが色彩を放つようになればいいのになぁと思う。

令和元年5月14日配信の記事について

2点ほど追記しておく必要性を感じた。

1つめは日本維新の会丸山穂高衆議院議員に関することである。この件に関して、あくまでも僕は「言論の自由」を封殺してはならないという意味で、「極端思考」を受容しようということであり、丸山議員の議員たる資質や資格を云々するつもりはない。後から出てきた周辺の情報からすると、酔った上で常識的ではない言動をしたらしいが、この点について擁護しているわけではない。

議員辞職勧告案も検討されていると聞くが、これが発言内容そのものについてであったなら、擁護したいと思うが、発言時にまつわる諸言動を含めてのものであるなら、それについては知らないからコメントはない。ただ、「戦争という手段」を議論の俎上に挙げたというだけの理由であるなら、言論の府が何を言うかと思う。もちろん、議場の中での正当な発言(ヤジなどではないもの)であるなら咎められるべきではないことははっきりしているが、議場の外での出来事であり、また、外交的にも島民にとっても重要な局面だったということも考慮しないといけないだろう。我々国民が選んだ議員であるのだから、その進退は慎重に考えるべきである。

2つめは、かわぐちかいじの「空母いぶき」が実写映画化される件について、続報によると原作が歪められているとのことだ。総理大臣の持病を揶揄した卑劣な改竄ばかりでなく、原作で明確に「中国」となっているところを「国籍不明の軍事勢力」としている。これでは「ドキュメンタリー性」や「シミュレーション性」が失われている。この2点だけで鑑賞する気が失せてしまった。人を誘って見に行こうかと思っていたほどの期待作が、残念な結果である。原作のコミックのほうを読み直して我慢しようと思う。

昨日の投稿で扱った話題で、その後の続報により誤解を生まないよう、以上のことを追記しておきたい。

思考実験は非現実的でよい

北方四島の「ビザなし交流」の訪問団に参加した日本維新の会丸山穂高衆議院議員は訪問団のメンバーに「戦争で島を取り返すことには賛成か反対か」などと質問したことについて13日夜、「不適切だった」としてみずからの発言を撤回し、謝罪しました。(NHKニュース

こうした失言報道には、いくつかの種類があると思う。まずは発言者の潜在意識にある「差別意識」や「旧態依然」が表に出てしまったパターンである。これについては、僕は「自然にあるがまま受け入れよ」「きれいごとだけの世の中にするな」と思っている。もちろん、このパターンでの失言に非難をすることはよい。しかし、それで本人が気づいて謝罪すれば終わりという程度に捉えている。いつまでもしがみついて問題視することはない。「臭いものに蓋」をしていても、「臭いもの」の存在は消えない。むしろ、水面下に潜らせて存在を見えなくさせてしまう方が問題である。人間は感情の生き物であることが根本であり、思ってしまったことは仕方ない。ただ、社会生活上で問題があるので、指摘し、気づいて謝罪で済む話だと思っている。もちろん、「失言」という言葉だけの問題ではなく、「行動」にまで移ってしまっていたならば糾弾して然るべきである。

「失言」のもう一つのパターンだが、これは「思考実験」的なものだ。たとえば、「北方領土は戦争なくして取り戻せないのか」という問い掛け自体はなんの問題もないと思う。これが「戦争」という表現にアレルギー反応を起こし、議論そのものを排除するならば、そのほうが問題であると思う。テレビであるコメンテーターが「憲法に書いてある戦争の出来ない国で戦争をしないと取り戻せないと発言することは、国会議員の資格がない。憲法で禁じられていることを論じる意味はない」と評していたが、そんなことはないと思う。むしろ、現実的に必要で憲法や法律がそぐわないならば、国民の生命と財産を守るという国家の第一目的を果たすために、必要ならば憲法や法律を変える最初の仕事を果たすのが国会議員であるからだ。「憲法や法律で禁止しているが、その禁止は妥当か」という議論自体はあって然るべきものだ。

「考える」際には極論は必須である。たとえば、今、たまたま「資本主義民主主義国家」が成り立っているが、これは必然ではなく、そもそも成り立っていること自体が不思議な出来事だというような捉え方をしない限り、体制の改善や改革はなされないだろう。必然であるならば放置しておけばよい。腐敗するのも崩れ去るのも、そこから何か別のものが生じてくるのも、必然である。そうではないからこそ、手を尽くす余地が存在しているのだ。地震が来るかもしれないから対策を講じるわけだし、極論まで考えないから想定外が出てくる。自動車事故でも「ありえないような事故」が起きると想定したところまで安全装備が配されるのである。「死ぬ」という言葉にアレルギーを起こして、事故が起きて人が死ぬなんて不謹慎なことを考えるなとすれば、エアバックすら開発されなかったであろう。

今般、かわぐちかいじの「空母いぶき」が実写映画化される。自衛隊を扱ったものは過去にも多くあった。戦国自衛隊ゴジラとの戦いなど「ファンタジー」であった。しかし、「空母いぶき」はこうした過去の自衛隊ストーリーとは異なり、きわめてドキュメンタリーに近い。映画の中の出来事は、現実的には「起こりそうもない現実」であると同時に、「起こるかもしれない現実」でもある。映画の中では「戦争をしないために戦う」というギリギリの選択がどこなのかを問い掛けてくる。ただ「戦争をしない」では済まない厳しい現実が仮定されている。戦争をせずに戦闘で止めるための必死の攻防戦である。

こうしたことを突きつけられて、初めて思考が始まる。防災と同じく、想定は普段からしておく必要がある。この「極論」が舞台の映画は、見終えた人々にさまざまなことを考えさせるのではなかろうか。この映画を戦争映画だとか戦争礼賛と受け止めて非難するようであれば、それは思考停止である。「ありえない」ことを映像化してくれているのだから、今回はより具体的に想像し、より具体的に思考が始まるだろう。

さて、ここで冒頭に戻る。「北方領土は戦争なしには取り戻せないのか」という問い掛けは、あって然るべき問い掛けである。ただし、酔った勢いに任せて絡み酒というような不真面目な態度であったことは非難に値する。僕が問題にしているのは、その報道におけるコメントの在り方である。むしろ、マスコミは謝罪があったと済ませ、実際にはどうやったら取り戻せるのか、戦争という外交手段も排除しないで考えていこうという姿勢で北方領土を取り上げ、国民的議論にまで昇華させなければならない。国民的議論を呼んでこそマス・コミュニケーション(集団・大衆でのコミュニケーション)であろう。

日本が戦争という手段を採らないとしているのは、日本の個別事情である。世界的には関係ない話だ。外交は相手があって初めて成立する。その相手の手札に戦争がある以上、戦争を度外視は出来ない。日本がしない、受けないといっても、相手が手段として押しつけてくることもあるからだ。その場合、どうするのか、戦争にまで発展させずに戦闘で終えるべく知力を尽くそうということを「思考実験」で想定訓練することは、必須ではなかろうか。アレルギー反応を起こして「戦争」に関わる議論すら封殺してしまうことは、そのまま知力の低下を意味すると僕は思う。

安定的な皇位の継承について

元号も「令和」に改まり、剣璽等承継の儀や即位後朝見の儀などの即位に伴う一連の儀式も始まった。テレビで映像を見ていると、天皇陛下の脇侍として、秋篠宮文仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下のお二人しかおられなかった。昭和から平成への御代代わりでは6人が揃っていたことからすると、どこかしら寂しいものを感じてしまった。いよいよ皇位継承の安定性に視覚的にも危機感を覚えるようになってきた。

ここで女性天皇ないし女系天皇に関する議論が活発化してきた。「女性」なのか「女系」なのかについての違いはしきりにメディアで耳にするようになり、一般的な理解も進んできたように感じる。戦後の「象徴天皇」の地位は、憲法により「日本国民の総意」に基づくので、その「総意」が奈辺にありやと議論を進めていくことはよいことであろうと思う。そこで、当ブログに「総意」形成への影響力がないことは百も承知でありながらも、果敢にこの議論に参加したいと思う。

まず、21世紀にあって男系男子に限るのは時代錯誤であり、男女平等であるべきという議論について、そうであるあらば男女平等に限らず、職業選択の自由、居住転居の自由、投票や立候補に関する選挙権、学問の自由(政治系は学ばないよう調整してきた)、表現の自由ストライキなどを含む労働権はもちろん、働き方改革を含めた「就業時間や就業規則」、「定年」や「残業規制」もきちんと認めなければならない。男女平等に並ぶ基本的人権である。

男女平等論から皇位の継承を語る場合には、他の基本的人権も同時に語らなければならないと思うし、語らないならば、なぜ他の人権を排除するかについての合理的説明が必要である。そして、僕個人としては、男女平等論から話を進める場合、やがては他の人権が俎上に昇る日も来るだろうと思うので、この論調での「女性」ないし「女系」の即位は、天皇制の崩壊に容易に繋がるだろうと思う。

ここで、「女性」か「女系」かという議論になれば、「女性天皇」には控えめに賛成であるが、「女系天皇」には反対である。控えめに賛成というのは、男系男子が未成年あるいはなんらかの不都合がある場合に限って即位できるという意味で、皇位継承順位は男系男子の次になる。現状でいえば、秋篠宮文仁親王殿下、悠仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下に続いて愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、三笠宮系の2女王、高円宮系の1女王である。

「男系女性天皇」の子どもを即位させてあげたいというのは人の情というものだと思うが、こと皇位に限っては割り切って考えるべきと思う。これは「皇位」というそのものが「歴史的堆積物」だからである。21世紀の考え方を安易に持ち込んではならず、あくまでも「文化財保存」の観点から語るべきと思うからだ。たとえば、姫路城を鉄筋コンクリートで頑丈に作り、石垣を護岸工事のコンクリートのようなもので堅め、エスカレーターやエレベーターを取り付け、安全性やバリアフリーに配慮した建築物に補修した場合、果たしてそれは世界遺産ないし文化財と言えるであろうかということと同じである。国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財特別史跡名勝天然記念物または史跡名勝天然記念物は、建築基準法の枠外にある(建築基準法第3条第1項第1号)のと同じ理屈が、「皇室」にも適用されるものと思う。

そもそも「皇位」というものが歴史的遺物であり、男女平等以前に人は平等という近代社会の理念から外れているのである。これは、憲法を見ても明らかで、憲法前近代的なものと近代とを苦心の末に融合させていると思う。すなわち、第1章で天皇について記述し、第3章で国民について記述している。国民について定義する前にまず天皇について定義し、これを国民から外しているのである。だから、皇室の人権は著しい制限が可能になっている。ここに国民が持つ基本的人権のうち、「男女平等」だけを入れることがどれだけ不合理か分かろうというものである。

過去の例を見れば、皇后(正妻)の産んだ子が天皇になることのほうが少なく、側室が産んだ子どもが天皇に即位した例も多いわけで、安定的に男系男子誕生を図るには、1人の女性(皇后・正妻)だけでは、女性の負担も大きく、不都合であろう。とはいえ、一夫多妻制にすれば国民の理解が得られず、国民との乖離を引き起こし、国民の総意による皇室の存在は危うくなるだろう。側室制度を「人倫に悖る」と評した昭和天皇のご遺志に加えて、「不倫」が社会的に非難される現代にあって、これは採るべき選択ではない。そこで、21世紀の技術との融合である。

人工授精による皇嗣の誕生を試みることはどうであろうか。皇室が率先して不妊治療に先鞭を付けることは、不妊に悩む人々に大きな光を与えることにならないだろうか。おそらくは、皇室がやるとなれば人工授精技術の飛躍的な向上が望めるであろうし、費用も安くなるだろうし、社会的なハードルも低くなることだろう。人口減少社会にあって精子バンクが拡充し、シングルマザーを支える制度も充実していけばよい。それこそ「伝統的」な「自然妊娠が良い」と唱える「男女平等論者」は支離滅裂だし、男系男子にこだわる保守派にとっても問題はない。

四方丸く収まる案だと思うのだが、いかがだろうか。