学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

プロや職人の衰退は社会の衰退

本職に任せる」とか「本職にはかなわない」というような表現がありますが、これはそれを専門とする人、玄人(くろうと)の取り組みにはかなわないという意味である。本来的には「本職」とは「その人がおもに従事する職業」であるが、上述したような表現の中には、玄人に対する尊敬の念が含まれているように思う。というのも、そこまでの域に達するためには、多くの経験値を得てきたであろうし、血の滲むような努力を重ねてきたであろうという、プロセスへの敬意があるからである。

だから、「本職」には、ちょっとやってみただけの素人程度、あるいは「おもに従事する」に値しないレベルの取り組み程度では敵わないだけの「専門性」や「高度な技量」がある。僕はこのことを指して、従来、「プロフェッショナル」とか「職人」という表現を用いてきた。そして、こうした表現は、「医者」や「弁護士」などの資格職ではないものにたいしてこそ有益だと思っている。というのも、資格という、第三者による客観的な証明が存在しない「プロフェッショナル」や「職人」の分野があると思っているからだ。

これは自明であろう。「素人がちょっと手術をしてみたが、やはり本職には敵わない」という恐ろしい状況は、前提としてすら存在しないからだ。したがって、こうした表現は、素人でも手を出せる分野で有効となる。たとえば、「教育」はまさにそうだ。もちろん、「教職」という資格職ではあるが、「教育」自体は家庭でも職場でもどこにでも広く見られ、かつ、資格職でない「教授者」が存在する。同じ延長線上でいえば、「助言者」や「相談相手」もこれに当てはまる。

自らに顧みれば、「先生」と呼ばれるのに相応しいかという自問自答は常にある。おこがましくも「先生」と名乗るのであれば、少なくとも「先生」に相応しいだけのものを身に付けていなければならない。こうなると、当該分野について「よく知っている」ことはもちろん、「よく実行できる技能」も併せ持たなければならない。こうした意識で20年やっていると、周囲からようやく「本職には敵わない」といってもらえるような場面も出てきた。そして、こうなってくると、自らの職業にこだわりやら譲れない原則やらが生まれてくる。そう、「職人」は頑固なのだ。

このことは「先生」に限らない。営業マンであれ事務員であれ技術員であれ、自分の職掌内容について、ひとかどの一家言を持ち、こだわりやら信条やらを形成するものだと思う。どんな職業であれ、そのプロフェッショナルや職人は存在する。いや、していなくてはならない。先輩や同僚、後輩を含め、「負けない」というだけの存在になるべく、努力をすべきだと僕は思っている。でなければ、取引を含めた買い物なんて出来なくなる。商売は相手への信頼があってこそ成り立つ。魚屋の目利きが悪いとか魚が腐っていたとかであれば、その魚屋は廃業するしかない。売る魚についても、その保存方法についても、他より秀でていれば、その魚屋は繁盛する。

しかし、最近、こうした「名称」に対する詐欺的行為を目にすることが多くなった。新卒新入社員で半年もすれば「コンサルタント」を名乗る。勤続年数を重ねたという理由だけで、配属先が変わったばかりの人物に「上級コンサルタント」が付与される。「コンサルタント」は字義通りならば「相談員」なので、AとBのどちらの商品を選ぶか悩んで店員に「相談」すれば、店員は確かに「家電コンサルタント」であり「コーヒーコンサルタント」である。しかし、従来、「コンサルタント」といえば、隣接する業界情報までを含めて熟知し、出回る商品の観点別優劣を見定め、客の要望にマッチングさせるだけの、きわめて高度で専門的な職業内容だったはずである。

安易に名乗りを上げることは、その職業の尊厳を傷つける。現状を知れば、いまや「コンサルタント」になんの価値も見いだせまい。いや、「コンサルタント」はあくまで例であって、銀行員、保険外交員、証券マンであっても、それだけの専門性や高度さは失われている。金融緩和により、銀行でも保険や証券を扱い、もはや専門性は失われている。たんに「銀行」と呼ばれているところで働いている「素人」でしかない。

もちろん、絶滅危惧種とはいえ、銀行でもどこでも「プロフェッショナル」な人や「職人」は存在している。しかし、こうした「プロフェッショナル」や「職人」の少ない社会は衰退の一途を辿る。継承が行なわれず、組織は経年劣化していくしかないからだ。いきなりの固有名詞で恐縮だが、今のホンダに本田技研創設の頃のような情熱的な技術者(単なるサラリーマンではない技術者)がどれだけいるだろうか。ソニーは?パナソニックは?東芝は?メガバンクは?

僕はこうした思いで教え子に接している。だから、1人でも多く、教え子の中に「プロフェッショナル」や「職人」を作りたい。自分自身が職業名を貶めるような仕事をしていないか、常に反省をしつつ、より頑固になっていきたいと思う。