学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

学習指導要領に見る社会の変遷

仕事にかまけてブログ更新をサボってきました。およそ2ヶ月ぶりの更新となります。年度末の忙しさは悲惨ですね。さて、この2月と3月は大学や専門学校の教員と交流し、また教員研修の講師としても活動をしてきました。この中で感じてきたことを今回は題材にしてみようと思います。

2017年・2018年度に改訂された新学習指導要領が、幼稚園、小学校、中学校、高校でそれぞれ2018年度から2022年度にかけて導入されていきます。ちょっとこれまでの流れを整理しておきましょう。学習指導要領の設定は、全部で7回ほどありました。以下の流れで複数年あるところは、小学校~高校まででズレがあるからです。おおむね10年前後での改訂です。

1958~60年 法的拘束力を持つものとして、系統的な学習を追求

1968~70年 教育内容の現代化(詰め込み教育

1977~78年 知・徳・体の備わる豊かな人間性ゆとり教育の開始)

1989年   個に応じた指導(ゆとり教育

1998~99年 「生きる力」、高校に「情報科

2008~09年 基礎的知識・技能、思考力・判断力・表現力(引締)

2017~18年 主体的で対話的な深い学び

 このようにまとめてみると、3つの潮流があります。第1次~3次までの内容拡充と難化、第4次~5次までの内容絞り込み(減少)、第6次~7次までの内容再拡充です。でも、こうしたものには社会的背景がつきものです。

現場任せで自由にやってきた当初の反省から法的拘束力を持たせて系統化し、ソ連人工衛星の技術が米国よりも進んでいることに衝撃を受けた「スプートニク・ショック」により内容を拡充・難化し、「落ちこぼれ」が続出したので緩めていき、学力の低下を招いたので再拡充したという流れです。これは、①冷戦の開始ないし高度経済成長、②冷戦ないし安定経済成長、③冷戦の崩壊後ないしバブル経済崩壊後という政治経済状況が、それぞれの学習指導要領改訂に影響していることは明らかです。

戦後の復興期に欧米に追いつけ追い越せとなって無理をし、冷戦が安定期に入るとそれが緩み、再びの国力低下によって再強化というふうに読み取れるわけです。つまり、現実社会の側から「このような人材が欲しい」というようなものがあり、それに応える形で学校教育が変遷してきた関係を読み取れます。だから、学習指導要領は曖昧な抽象表現が多くなっていますが、それに具体性を与えるためには、教員には現実社会に対する深い洞察が求められるのだなぁということです。

しかし、一方で教員の側は、自らの専門とする分野の習得に忙しく、または昔取った杵柄で仕事をする人が多く、多くの場合、現実社会への深い洞察や対応が出来ていない状況にあります。学習指導要領に謳われている「精神」を抜きにして表面的に「書かれていること」を抽象のまま実現しようとしても、実際には回らないのだなぁと感じる次第です。

学習指導要領が変わり、来月から55年ぶりの制度変更(1964年の短期大学創設に続く2019年の専門職大学の新設)があるなかで、「主体的で対話的な深い学び」とは何かという問い掛けは必須です。「主体的」「対話的」「深い」「学び」という4つの抽象表現を具体化し、かつ自らの担当科目の中で具現化していくという作業は、教員にとって最重要テーマです。一言で言えば、AIの開発・発展による、「AIにはできない人間の役割を明確化」することですが、これとてAIと比して「人間とは何か」という壮大で抽象的な哲学のテーマが含まれています。もちろん、「主体的」「対話的」「深い」「学び」という視座がAIと人間を区別するところだとのヒントは出ています。

蛇足ですが、語弊のある言い方ですが、はっきりといってしまえば、短期大学は大卒男子総合職へ花嫁を斡旋する役割を担っていました。短期大学に家政科が多かったのはその証拠です。短期大学は女子が行くところというイメージもこれゆえです。しかし、1985年の男女雇用機会均等法以降、女性の社会進出が促され、短期大学はその使命を終えたと言えます。青山女子短期大学や立教女子短期大学が学生募集停止したり、4年生の女子大学といえどいくつかのところで共学化したりしたことは記憶に新しいところでしょう。この意味で、専門職大学・短期大学の創設は、21世紀日本の社会的要請の結果だとみることが出来ます。

話を元に戻すと、こうした学習指導要領の改訂は社会人にとっても無縁ではありません。なぜなら、学習指導要領は前述してきたように現実社会を映し出す鏡であり、今、そこで謳われている能力が現代社会に必要ですよという合図に他ならないからです。また、「自分は習わなかった21世紀の能力」を訓練された人間を新入社員として迎えることになります。時代遅れの人間となって「老害」やリストラ対象になってしまうかもしれません。

そして、社会の変化は加速度的に速まっており、10年一昔どころではなくなりました。学校を教育を終えてもなお「学び」が必要とされます。これの象徴的な動きが「リカレント教育(学び直し教育)制度」です。これを迎え入れるのは、少子化によって経営難にあえぐ大学や専門学校です。そこの教員が現実社会の変化に疎いのでは話にならず、また、必要とされる抽象的能力の具現化を考えたこともないのでは制度は茶番に終わります。これをいかに現場の教師に促していくか、こんなことを考えて苦悶していた2ヶ月間でした。