学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

近代の超克

このブログの副題は、『ポストモダン、ポストナショナル、ポストグーテンベルク、ポストヒューマンな時代に考える』であるが、これを一言で言うと、『ポスト近代に考える』ということである。そこに『民主主義』を添えているのは、僕の専門が政治学ということでもあるが、近代の所産としてもっとも大きなものが『民主主義』だという思いからでもある。

近代というと歴史と思うかもしれないが、現代社会は近代の延長である。大きな枠組みで言うと、現代は近代に含まれる。たとえば、産業革命は歴史事項ではなく、今もなお継続している事項である。そして、民主主義の誕生と発展を支えるのが、近代に生まれた資本主義経済である。当ブログの問題意識からすれば、民主主義に疑義を持つということは、資本主義経済にも疑義を投げつけるということでもある。

つまり、近代に生まれ、現代まで伸びてきた価値観に疑義が生まれているのが現在だというのが僕の基本的立場である。そして、この先には道が2つある。現在の不備や弊害を修正して進んでいこうとする道と、新たな価値観を導入しようとする道である。今のところ、新たな道を提案できている人は世界を見渡してもいない。「21世紀の資本」で名を馳せたピケティも、この提案を試みた一人である。僕自身もまた、この姿の未だ見えない新たな価値観が出てくるものと考えている宗派に属する。

というのも、このパラダイム・シフトは、実は多くの人々の意識の中には生まれてきていると僕は感じているからだ。いわゆる大量生産大量消費は過去の話になりつつあるし、お金持ちが豪邸に住まず、若い人が高級車を夢見ることも止み、ある程度、夢や将来像が画一化していた時代から多様化の時代へと変化しているからだ。末は博士か大臣かというような夢は消え、人々は自由に将来像を描き始めた。あまりにも自由になって夢を描けなくなったきらいもなきにしもあらずだが、しかし、確実に人々の意識は変化した。この社会の意識変化こそ、新たな時代への扉を開くカギである。いつの時代も、人々の意識変化が時代の変化に先行している。つまり、現在には近代を超克する萌芽があるということだ。

そして、未だ少数派ではあるが、経済の世界から、こうした視座の研究者が表れている。佐伯啓思氏も同様の書を書いているが、こちらはまだ構想の域に達していない。要はその先にある社会を描き出していなければならない。『資本主義の終焉、その先の世界』は、実際にはその先の世界を描き出せてはいないが、その一歩手前まで来ている。その先の世界はないが、社会のパラダイム・シフトを前提としている本である。我々の世界が大きく変わろうとしている今、前時代の価値観に縛られてしまうことなく、来たるべき世界に目を向けていく姿勢を培いたい。この意味で、これはそのヒントになる本ではないだろうかと思う。

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