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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

4つのポスト時代

政治論考 哲学思想

もう10年近く前のことになるだろうか。放送大学の哲学講義を受けていて、4つの時代状況の認識について学んだ。その時代認識とは、①ポストモダン、②ポストナショナル、③ポストグーテンベルク、④ポストヒューマンである。

英語の接頭辞 "post-" というのは、「~以後」というような意味である。もともとはラテン語で、"after" という意味であるから、①「近代以後」、②「国家以後」、③「活字以後」、④「人間以後」とでも訳せるであろうか。我々はこうした時代背景の下に生きている。一言で言えば、「~の時代」と明確に打ち出せる思想なり構想なりが存在していない時代である。「~時代の後」としか形容できない、前時代を引きずった、いわば過渡期のような時代である。

「近代以後」というのは、思想的にも文化的にも学問的にも、近代が生み出した歴史的構造物がその限界を迎え、「近代」を支えてきた支柱が傾き、歴史的経験のプロジェクトが頓挫したという意味である。

「国家以後」は、その近代が生み出した国民国家という枠組みが部分的に崩壊し、グローバルな新たな世界システムが取って代わろうとしているということである。我々の生活に近接する経済分野や環境分野などでは、国家の枠組みを超えた問題群が出現している。とはいえ、近代の束縛は強力で、我々の思考は、とりわけ国際社会を考えるときには未だ根強く支配されている。

「活字以後」というのは、活版印刷の発明以後、新聞や言論などの多くが活字メディアとして大衆社会を牽引してきた時代に一区切りがついたということだ。インターネットの登場により、公共へ意思伝達する手段が民主化されたと見ることもできよう。マス・マディアが力を失い、SNSなどの個人からの発信が力を得つつある状況は、よりアトムな時代へと移行しつつあるということである。

最後の「人間以後」については、「人間」と「テクノロジー」との境界線が曖昧となり、古来より人間が固有としてきたものがテクノロジーに代替されるようになってきたということである。人間を動物と分けるもの、すなわち記録と伝達においては、今や人間よりもコンピュータのほうが上回っている。人工知能による会話機能や翻訳機能も日々向上し、人間の生命さえもが遺伝子情報として解読され、身体を作り出したりするまでになってきている。「機械がオラたちから仕事を奪う」という現代のラッダイト運動はより深刻である。近代に価値を与えられた労働から解放されるという意味ではよいが、その過渡期にあっては多くの人が苦しむことになろう。

本ブログは、こうした時代認識を元に様々な事象について考察を行なっていこうと思う。