学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

一年を振り返って

今日、本棚の整理をした。今年一年で読んだ本は32冊(小説の38冊と併せるとちょうど70冊になる)。ペースは学生時代に比べて落ちたとはいえ、まだまだ読んでいるものだと感じていたんですが、今日の整理を通じて発見がありました。

ハードカバーの本は7冊だけ。残りはすべて新書版だった。新書版は専門家が一般向けに内容を噛み砕いて書いたもの。つまりは自分の専門外の本ばかりを読んでいたことになる。これは少し悲しいなぁと感じた。

ジャンルとしてはファシリテーション、思考法、哲学、時事問題に関するものが多かった。つまりはお仕事に必要なものを読んでいたことになる。これはこれで仕方のないことなのかもしれない。しかし、来年は自分の専攻分野の専門書をもっと読むように心懸けたい。

単純計算してみたくなった。

小学生の頃は、年間24冊×6年=144冊

中高生の頃は、年間36冊×6年=216冊

大学生の頃は、年間36冊×4年=144冊

修博士の頃は、年間70冊×6年=420冊

社会人以降は、年間40冊×17年=680冊

合計でざっと1600冊ほど読んできた計算になる。この冊数の中には、小説も文庫も新書も専門書も洋書も含まれる。1週間に1~3冊程度は読んできたことになる。これも単純計算だが、一冊あたり1500円程度にすると240万円も本に注ぎ込んできたことになる。もっとも、2/3程度は図書館を利用しているので、実際には100万円程度だろう(洋書はほぼ自分で買ったし、洋書は高いので割り算の答えにちょっと色をつけた)。

こうしてみると、やはり知識の獲得(読書)は財産である。これからも知識の獲得に努めていこうと思う。

ところで、僕は小説からも大いに知識を得てきたと思う。京極夏彦の妖怪シリーズでは民俗学的で心理学的、時に衒学的な知識を大いに楽しんだ。学術的な論理性と対になる人間の不合理な側面を描き出す小説に触れることは、精神のバランスを取る上で重要であったように思う。逆に、森博嗣のS&MシリーズやVシリーズは、学問的な論理性を日常に存在させると日常が破綻する様をユーモアたっぷりに描いているから好きだ。

また、上田秀人氏の水城聡四郎シリーズ(勘定吟味役異聞広敷用人 大奥記録聡四郎巡検)は、幕府(政府)や将軍プライベートの内実、当時の地方の状態などを知れて面白い。同様に財政の側面から幕府の権謀術数を描く『奥右筆秘帳』、朝廷と幕府、とりわけ公家の生態を描いた『禁裏付雅帳』、肚の読み合いが秀逸な『百万石の留守居』、江戸の経済感覚が垣間見られる『日雇い浪人生活録』など、面白いものが目白押しである。他にも、出世を嫌う主人公が権力の中枢に引きずり込まれる『表御番医師診療禄』や将軍の苦悩と孤独を描いた『お髷番承り候』は息抜きにちょうど良かった。

上田秀人氏の作品は、どの作品も、時代小説でありながら現代社会批判であり、役人の生態や習性を描き、権力構造を鋭く描き、主人公の成長と変化を感じさせてくれる。だから、けっして単純なエンターテイメント時代劇ではない。また、史実に対する虚構の作り上げ方も意外性があって面白い。よくもまぁ辻褄を合わせられるものだと、いつも感心している。彼が歯医者の副業として、これだけ多くの小説を書いていることに、二度驚かされる。

さて、来年はどんな作品に出会えるのか、また本屋の平棚を物色しに行こうと思う。も、もちろん、ハードカバーの本も来年は多く読みますよ!