学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

問題の本質

東京医科大学の入試において、女子受験生や3浪している受験生に対して一定の得点操作をしていたことが発覚した。試験は公平に行なわれることが大前提であり、これに対する大学側の対応に非難が集まっている。大学からの反論は、女性医師は職場離脱をしてしまうことであり、医師不足を招かないための処置であるというものである。

もちろん、こうした世間の批判は当然である。しかし、この見方は些末な端に注目しすぎている。この入試問題が存在した問題の根本は、大学の不正ではない。日大フットボール問題とは問題の本質が異なる。この問題の本質は、日本の労働問題であり、さらには医療問題である。

たしかに、一部テレビ報道にあるように、「女性が働きやすい環境を作るべき」ということには一定の理解が出来る。1985年以来の女性の社会進出(男女雇用機会均等法の成立)に伴って、女性が働きやすい環境が徐々に整い始め、また少子化対策に伴ってワーキング・マザーや妊娠・出産後の職場復帰も支援されてきている。そんなところに今回の東京医科大学の事件であるから、時代の流れに逆行しているとか、あり得ない差別であるという批判が起きている。

しかし、実際の現場では苦しい状況なのも確かである。医療現場ではなおさらであろう。人の命を預かる現場において、たとえば、その日に予定されている手術があったとして、生理が始まったことによる職場離脱は誰が埋めるのであろうか。あるいは、採用計画に基づいて配置されている職員が妊娠による職場離脱をした場合、すぐに人員補給が出来るわけでもない。とりわけ、医師のような高度な専門職においては厳しいだろう。それだけの余剰人員を抱えられる病院は少ないだろう。もちろん、妊娠は女性だけで出来るものではなく、男性の側にも共同責任がある。

東京医科大学をめぐる批判は、理想論である。そして、東京医科大学の言い訳は事実に対する厳しい現実論である。実際に医者がいなくなって困るのは我々である。その時、家庭を犠牲にしても仕事に責任を持ってしろと迫るのであろうか。理想論は分かる。あるべき姿が何かも充分に踏まえている。その上でなお、目の前の現実に対処している。これが東京医科大学の置かれた立場である。だから、社会としての取り組みは、医師不足という医療問題へ真摯に取り組み、労働問題としての労働市場への改革である。そうすれば、東京医科大学の不正は発生する余地を失い、自然と消滅する。

問題の本質にあるものに手をつけずに表面だけで物事を改革してしまうことは、その後にやってくる大きな社会的不利益を生みかねない。そうなってからの対処では、医師のような高度専門職の育成は間に合わない。東京医科大学が主張するような女性医師の職場離脱を防ぐ手立てをするほうが先である。そして、これは一大学法人に出来ることではない。社会全体として取り組まねばならない。

最後に、東京医科大学は私立大学なんだし、どのような学生を望むのかも自由に決められるはずだ。だから、受験前に今回のような女子受験生や浪人生に不利となる採点方法を採用していると公表していればよかったのだ。これが差別に繋がるというならば、東京男子医科大学としてしまえば済む話である。東京医科大学には担保されるべき公平性を確保しなかったところにのみ問題がある。