学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

順番を間違えるな

科捜研の女」200回記念スペシャル「200の鑑定」(2018年3月15日放送)は、昨今の働き方改革ブラック企業、残業などの労働を巡る問題に対する番組からの1つの回答であったように思う。

番組では、日野所長が働き過ぎによって倒れたことがきっかけとなっている。実際には高血圧、肥満、コレステロールも原因となっているが、連続勤務が10日間ほど続き、そのうちの5日間で1日の労働時間が18時間を超えている。これを日野所長の奥さんが公災として申請したことで、悲劇が起こる。警務部長によって勤務時間の徹底が図られ、捜査中であっても捜査員や鑑定士が交代し、誤った結果を導き出してしまったのだ。事態はすんでのところで真実に辿り着いたが、近畿管区警察局の主任監察官が調査に訪れた。

ここでの主任監察官と警務部長の遣り取りは、どちらも正義で、正義vs正義の戦いの判定の難しさを視聴者に伝えた。主な遣り取りを書き出してみよう。

 

監察官『個人の使命感を断ち切らせるようなやり方は間違っている。』

警務部長『個人の使命感に頼ることは問題だと思う。それで倒れてしまったら使命感どころではない。そうしたやり方は捨てるべき。』

監察官『それでは、捜査能力が落ち、救われない人を作ってしまう。』

警務部長『捜査員やその家族が救われない被害者になるよりもいい。』

監察官『捜査員やその家族の権利より、被害者や被疑者の権利を優先すべき。それが私の信念です。』

警務部長『被害者のために警察官が命を縮めるような捜査は間違っている。それが私の信念です。』

 

最後は信念と信念の戦いであり、どちらも自らの仕事に誇りと使命感を持ち、かつプロ意識・職人意識の高い人たちである。どちらかに軍配を上げることはきわめて難しい。監察官は組織人として、また、警察という社会における役割からしての正義論を述べる一方で、警務部長は人事・労務担当として、警察も民間と同じ一組織であるとの立場からの正義論である。警察は特殊な仕事(労働基準法の適用外)でありながら、やはり「普通の人間」の集まりである。

しかし、これに対して、番組の最後で日野所長が1つの回答を示している。この回答が印象的であった。日野所長曰く、

①合わない人と働く(人間関係)、②合わない働き方で働く(業務内容)、③長い時間働く(労働時間)の3つのうち、もっともストレスを感じるものはどれだと思う?私は①人間関係だと思う。だから、まずは人間関係をしっかりと作り、業務内容を少しずつ変える。最後に労働時間に手をつける。たとえ労働時間が短くなっても、人間関係や業務内容がシビアになれば、人は身も心も壊してしまう。順番を間違えてはいけない。

そして、だから組織には「この3つをゴチャゴチャにする人や急激に変えようとする人を絶対に入れないこと」が大切だと説いている。革命のような劇的な変化に馴染めない日本人に合った方法ではなかろうか。そして、きわめて合理的で現実的な対処だと思う。番組では、②と③をそれぞれ優先した考え方で軋轢が生じる場面を描いた。そして、警察関係者からの聴取のシーンでは②と③を優先するあまり、①を疎かにしたという反省が随所で回想された。この構成こそに今回の番組の主張があるのだろう。

残業改善を推進したり、プレミアム・フライデーを導入しようとしたり、政府が働き方改革を推し進めようとしている一方で、現場では「そんなこと言われても」と現実が追いついていないことを嘆いている。こんな現状に一石を投じる社会派な番組であったと思う。

討論の授業に取り入れてみたいと思う一方で、まだ現実社会を知らず、理想論と杓子定規を持ち出す学生には、時期尚早なテーマだとも思う。残業に苦しみ、仕事を休めないと使命感に燃えつつ、大きな疲労感を抱えている社会人とともに、この問題は討論されるべきだろう。

今回の投稿では、「~する一方で、かたや~」という書き方を意識的に増やしてみたが、現実世界はこうしたディレンマ、矛盾、葛藤に溢れている。どちらが正しいのかではなく、どちらも正しいのだ。こうした「宙ぶらりん」状態を泳ぎ切る泳力を養うことこそ、大学教育で出来ることではなかろうかと思った次第である。