学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

民主主義は原初システム?

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今年の夏、文化人類学者のエマニュエル・トッドが新刊を出すという。今のところ、フランス語のものしか発売の告知がない。英語ないしは日本語でも発売されるとは思うが、秋以降になるだろうか。待ち遠しい。

さて、待ち遠しい理由であるが、発売に関するプロモーションを見ると、家族システムの歴史と民主主義の歴史も、ともに人類の歴史と同じくらい古い、つまり、両方とも原初からのものだという見解を示したという。そして、近年騒がれているリベラル・デモクラシー(自由民主主義)も同じくらい古く、権威主義体制や帝国主義体制から生まれてきたものではないと言い切る。

原初の家族形態が核家族だったとすれば、核家族はその利益を最高にするべく行動するが、それは個人主義的な価値観であり、これがリベラル・デモクラシーの萌芽であると看破する。家父長が核家族の利益を代表して公に出る。これがリベラル・デモクラシーの原型である、と。一定の説得力があるから、早く読んでみたいが、フランス語の書籍は無理なのが悔しい。

それにしても、これは、人口学者であったトッドらしい見方である。それと同時に、これまでの通説を覆すような提起である。従来からの伝統的な見方・視点、とりわけ政治学の分野からは出てこないような発想に思える。

ドラッカー社会学から経営学を生み、人口学者が政治学に取り組む。こうした学際知の成果、学問分野横断的な成果は21世紀らしい現象と思う。つまり、多様な価値観の存在を認めるということは、専門学問分野に門外漢を受け入れる精神的土壌があって初めて成り立つことだからだ。「素人」の新規参入は学問分野に新しい風を吹き込むことだと確認している。

一方で、従来からの伝統的な専門家が、それまでに築かれてきた知識の堆積に基づいて検証していくような体制が望ましいとも思う。新規参入を歓迎していく一方で、僕はやはり専門家の存在を軽視したくはない。ジェネラリストへの需要が高まる現状にあっても、スペシャリストの存在は欠くベかざるものだと思う。そして、ジェネラリストの存在は複数のスペシャリストによって集合的に形成されることが理想だと思っている。まったくの「素人」ではなく、自分の分野で専門家として学問的手法を知る人物が自分の分野外で活躍し、意見交換をし、発展させていくものこそが、本当の意味での学際知である。

この意味からも、トッドが夏に出版する本を心待ちにしている。