学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

平成30年(2018年)が幕を開けました。当ブログも半年ぶりの更新となります。ご無沙汰しておりました。いろいろと思うところもあり、また本業での佳境を迎え、ブログから遠ざかっていたことをまずはお詫びします。

さて、年も改まったところで、僕の関心事を述べておきたいと思います。今、勉強したいことは、人口減少問題、仮想通貨、定常的停滞経済の3つです。

世界史的に人類史上かつてない人口減少問題に直面している日本は、視点を変えれば世界に先駆けて社会縮小への処方箋を提示できる「先進国」となり得るわけで、この現象をどう受け止めるか、大きな関心事です。もちろん、人口減少問題は社会のあらゆるところに影響を及ぼすでしょう。

僕の関わる大学関連でも、私立大学(599校)・短期大学(331校)を運営する学校法人(660法人)のうち、今年に閉校すると言われている経営難校が21校、来年以降の近いうちに破綻すると言われているところが91校、このまま行けば閉校の可能性のあるところが175校である。これは大学の存する地域にも大きな影響を及ぼすでしょう。このことは大学に限ったことではなく、あらゆる商売が顧客を失うことも意味している。こうしたことが目に見えてくる年になりそうです。

また、アダム=スミス以来の経済学の視座転換が起きそうな予感もしています。中央銀行という信用の源をもたない仮想通貨がどれだけ通貨足りえるのかについて、従来の経済学では説明が付かないであろう。現行の通貨も政府によるコントロールが効かない昨今、もっとコントロール不可になる仮想通貨は、我々の生活をどのように変えていくのか。その仮想通貨が席巻する舞台は、高度経済成長どころか経済成長すら怪しくなった定常的停滞経済状態にある。

昨年中頃から僕は価値観のパラダイム・シフトが起きると周辺に漏らしてきている。AIやIoTが支配する未来社会において、人間が人間らしく人間たることが求められるであろう。先進技術に取って代わられることのない人間とは何かが今以上に問われることになるだろう。英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の指摘を待つまでもなく、先進技術によって仕事が消えていくのは、革新技術が登場するたびに起きてきたことである。

しかし、AIやIoTの登場は、作業労力の軽減ではなく、人間の擬似的存在の創出を意味する。だからこそ、疑似でない人間本来の姿とは何かが問題になってくるのである。具体的な内容はまだ漠然としていて見えてきていないが、ここは価値観に関わる部分であろうと予測している。価値観とは、ものごとを判断する基準である。これはAIやIoTにはできまい。

ところが、翻ってみるに、この価値観について、少なくとも日本人は明治から大正の創成期を過ぎて以降、まともに取り組んでこなかったように思う。現代日本人にとっては苦手分野、存命の先人のいない分野となろう。最近の書店で思考ないし思考法に関する書籍があふれ、明治維新150周年を記念したNHK大河ドラマの「西郷どん」に関する書籍も、当時の価値観に関わるものが多数出版されている。

僕自身、この分野に関するインプットが足りない。価値観を育て、後進に道を示せるよう、精進を積んでいきたいと思う。これを年頭の挨拶として、今年の初投稿を終える。