読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

ポスト・ヒューマンについて

哲学思想

つい先日、インターネットを利用して、アメリカ合衆国から商品を購入してしまったが、これは決してトランプ大統領への協力ではない。Buy Americanでアメリカ合衆国の富創出の枝葉に参加してしまったが、この商品を注文したのは就任演説以前である。こう言い訳をしながら、今日の投稿を始めたい。

新春特別企画4回シリーズの最終回は、「ポスト・ヒューマン」についてである。前回までと同じ要領で、「ポスト」は「~の後」という意味なので、今回は「ヒューマン」についての話から始める。

「ヒューマン」とは言うまでもなく、「人間」である。「人間後」とはいかなることであろうか。これを予感させるニュースが昨年は目白押しだったように思う。いわゆる「AI関連ニュース」である。

僕が子供のころ、アンドロイド(人型ロボット)はまさに空想科学であった。映画「スターウォーズ」のC-3POR2-D2は夢の世界の話であった。しかし、ソフトバンクのペッパー君を見ていると、そう遠くない未来のように感じられてくる。複数のAIを組み合わせたロボットによる喫茶店実験(慶應大学の矢上キャンパス)や、自動車の自動運転、スマートフォン搭載の音声認識、法務や医療における提案など、昨年はAIが現実化してくる様を見せつけられた。

2014年夏に英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が、AIに取って代られて消えていく職業をまとめたとき、正直、実感を得なかった。まだまだ先の未来だと感じていたのだ。それが2016年には具体的な姿をもって実物が登場した。技術の開発スピードは日進月歩だから、実用化まではあっという間だろう。2020年のオリンピック・パラリンピックには、スマートフォンに搭載する通訳ソフトが登場する見込みであり、こうなってくると、AIの音声認識はほぼ問題ないレベルになっているであろう。2020年まであと3年である。

さて、こうなってくると、「人間」はどうしたらよいのだろうか。

古代ギリシャのように、奴隷に働かせて日常の用を足し、市民は有閑階級として政治や学術、芸術に勤しんでいたように、AIに日常の用をさせて人間は有閑階級になるというような世界が実現するのであろうか。あるいは、マルクスの夢想を増幅させたような、人々が労働から解放される真の意味での共産主義が実現してくるのであろうか。それとも、映画「マトリックス」のように人工知能に支配された人間が登場してくるのであろうか。

どのような未来が訪れるにせよ、ここで「人間とは何か」という命題を突き付けられるであろう。生活の糧を得るという意味でのいわゆる生産活動から解放され、「働かざるもの食うべからず」を根底から覆すような世界が立ち現れた時、われわれ人間の「生きる」とはなにかという問いが表れてくる。昨年より哲学書が書店の店頭を賑わせているが、そうした気配を感じているのだろう。哲学書が一般書のように書店に溢れていること自体が本来は異常なのだ。

人類史上初の問い、これまでの前提を根底から覆した先にある問いを考えていきたい。当ブログの問題意識である。

第1回から今回まで、ポスト・モダン、ポスト・ナショナル、ポスト・グーテンベルク、ポスト・ヒューマンという当ブログの問題意識を4つのテーマから迫ってきた。これらはすべてブログの副題に付けられているものであるが、これらはすべて「視座」である。これらの視座をもって、学際的、すなわち学問領域を超えて輻輳的に考察をして、視座から見えてくる地平を広げていきたい。それが「学際知の地平」である。