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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

中国流護送船団方式

戦後の日本の経済体制下では、「護送船団方式」と呼ばれた体制があった。「護送船団方式」とは、軍事戦術の一つで、船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせて、全体が統制を確保しつつ進んでいくことである。戦後、日本の特定の業界において、行政官庁がその許認可権限などを駆使して業界全体をコントロールし、経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が落伍することなく存続していけるように図っていた体制を揶揄した表現である。

特に、第二次世界大戦後の日本の金融行政において典型的にみられ、これによって日本の金融機関が「潰れない」という絶大な信用を得たことは確かである。そして、金融業界以外でも様々な業界で行政官庁の強力な行政指導が存在し、これらも「護送船団方式」と表現されることがある。戦後の日本にはあちこちに「護送船団方式」が存在し、体力の弱い復興期の日本経済を守り、牽引してきたと言えよう。

さて、この方式を文字通り、軍事戦術として採用しているのが、現在の尖閣諸島周辺における中国の動きである。200~400隻の「漁船」を仕立て、公船がそれを守るかたちで尖閣諸島沖、日本の領海に侵入してきている。接続水域や排他的経済水域ではない。領海である。これについては、日本は真っ向から厳しく対処すべきである。宥和政策をしてはならない。第二次世界大戦当時、ドイツに対して宥和政策を採り、そのまま済し崩し的にドイツの侵攻を許した轍を踏んではならないと思う。

第一次世界大戦による甚大な被害への反省と恐怖から、ヨーロッパでは「あらゆる戦争に対して無条件に反対する」という平和主義が台頭し、ドイツの主張に対して譲歩に譲歩を重ねた。「宥和」は「抑止」の考え方の対極にある。第二次世界大戦の敗戦経験から極度に「戦争アレルギー」になった戦後日本において、かつてのヨーロッパと同じように、甚大な被害への反省と恐怖から、毅然とした態度に出られないでいるように思う。しかし、その宥和政策の結果、第二次世界大戦という第一次世界大戦を上回る被害と恐怖に繋がった歴史の教訓に学ばなければならないと思う。

相手の主張に一定の尊重を示し、譲歩に譲歩を重ねても、無法者の欲はとどまるところを知らない。いや、欲の無限性は無法者に限らない。人間の性であろう。人間の性であるならば、宥和政策の破綻は目に見えている。「衣食足りて礼節を知る」という中国の言葉が示すとおり、「漁場が豊かだったから」と領海にまで侵入してきた中国には、食が足りていないから礼節は通用すまい。礼節が欠けているなら、話し合いも尊重も必要ない。強制力を用いて排除するしか方策がない。犯罪に対する警察力である。

話は変わるが、在日米軍については知事という職域を超えて訪米までして強行主張をしてきた翁長沖縄県知事が、今回の中国の領海侵入、沖縄県への侵入についてはずいぶんと静かである。沖縄県の漁民にとっては、生活を脅かされる事態に気が気ではないだろう。こうした県民の生活を無視していて、沖縄を守ろうと駐留している米軍基地問題には過敏に反応している。こうした県民・国民と政治家の意識のずれは、大きくは政治への信託という意味で、政治の崩壊へと繋がる。これについては稿を改めることにしよう。