学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

人が言葉を持つということ

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さて、こういうのは、どのように解釈したらよいのだろうか。さんざん中国は攻めてこない、自衛隊はいらない、米軍はいらないと言ってきた人々が、目の前に脅威が迫ると、このように言い始める。ともに酒を酌み交わして理解し合い、9条を盾に脅威に立ち向かわず、こうなると黙り込む。

中国側は海軍フリゲートを出してきている。フリゲート駆逐艦巡洋艦の一つ下のクラスで、主に哨戒や補給に使われるものであるが、軍属であるので海保での対応はきつい。海上自衛隊の出番ということである。翁長知事のこれまでの言動からして、この要請はどういうことだろうかと頭を悩ませてしまう。こした自体を想定して準備をしておくのが政治家の務めだ。事が起きてからでは遅い。泥縄の後手対応は、政治家がもっとも嫌うものでなくてはならない。

このところ、政治的な記事が多く、それを通して僕の政治的信条も記事の中に漏れているとは思うが、僕は決して自民党支持でも民進党支持でも、その他の政党支持でもない。僕は単純に「言葉に信を持つ政治家」を信用する。「人」と「言」が揃うとき、「信」(人偏に言)ができる。言動が一致していない政治家にどうして代表を託せようか。

しかし、これは、政治家という公人ゆえに表沙汰になっているのであって、例として引き合いいだしているのであって、僕の真意は「言葉を大切にせよ」ということだ。言葉を大切にするには、思考をしっかりとしなければならない。ここ最近の僕の投稿は、これのみを伝えるためにある。一貫性という原理原則に則して考える。自民党だから、民進党だからという支持の仕方はしない。現実的に考えて、筋が通っているかどうかが大切だ。

その上で、選挙であれば自らの信条に近い人を選ぶ。でも、反対意見を持つ相手でも、筋が通り、発言や思考にブレがなければ敬意を払う。考え方は様々であり、それぞれである。自らと意見を異にする相手に、意見が異なるという理由で退けることはしない。ご都合主義でその場その場で適当なことを言っている人を軽蔑する。

結局、世の中は、人の世の信用というものは、こういうものなのではなかろうか。