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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

ブーメラン

言葉論考

最近の政治家、マスコミ評論家、運動家にたいして、言葉をないがしろにしているなぁと強く感じる。公的な場で発言をして、その自分の発言の重み、影響力を考慮できていないばかりか、その場しのぎの軽い言葉が横行している。あまりにも発言が軽いので、一つ一つの発言の意味すら考慮できていないのではないかと危惧する。ケースバイケースで発言するから、発言を抽象化した後、その発言が過去の自分自身の言動に跳ね返り、自己崩壊するパターン、すなわち、「ブーメラン発言」が相次いでしまう。

「言葉を出すまでは、あなたが言葉を支配しているが、いったん言葉を出してしまえば、今度は言葉があなたを支配する」という箴言がある。口にしたらそれを守らねば信義に悖るということだ。つまり、言ったことをないがしろにするかしないかは、その人の信用問題である。西洋の言葉を待つまでもなく、我が国にも「武士に二言はない」という文言がある。口にしたことは意地でも守るという姿勢が、信頼関係で成り立つ人間社会においては、きわめて重要なことだ。武士という支配者階級において、「二言」を持つことはタブーである。これを破るなら、その人の周囲の人間関係は崩れていくであろう。

言葉に注意をするということは、しっかりと思考することに繋がる。目の前にある一つの具体事例だけで考えず、そこから出発して抽象化し、原理原則に照らして間違っていないかと確認することが必要である。そのためには、原理原則という自分の信念をしっかりと持っている必要がある。そうして初めて、公的に発言ができる。口に出す言葉は思想を表すもので、その人の発言はその人の性格や思想を如実に表す。「うっかりと本音を漏らす」とか、「ほら!本音が出た!」というが、言葉に本音という、その人の思想が表れるものだというのは、一般的な了解事項であろう。

マザー・テレサの言葉に、「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」というのがある。思考、言葉、行動、習慣、性格、運命という順に注目である。それぞれの積み重ねが次のものを呼び込む。ということは、思考と言動に慎重であれば、やがては運命をも変える力になるのである。

先に述べたように、人間関係は信用、信頼、信義である。これによって周囲にどのような人々が集まるかが決まる。それは最終的にはその人の生活環境という運命的なものに影響してこよう。誰と出会い、どのような影響を受け、どのような人生を歩んでいくのか、「住んでいる世界」が定まる。これは自らの境遇を単純に環境のせいにしないで、自分の影響力を行使できるところから始めて、最終的には自分の環境を支配するところに繋がる。今の環境は過去の自分の思考、言動に拠るものなのである。

だから、かつてチェスターフィールド卿は「付き合う友達を選べ」と息子に助言をしたのであろうし、「仲のよい友達を3人連れてくれば、君がどんな人物か述べよう」と言ったのである。現在の環境は、その人の人物に拠るのである。だからこそ、公的な言葉については、思考を練り、それと反することのない発言を心懸けるべきである。

と、ここまで書いて、昨今の政治家、マスコミ評論家、運動家には、思考が足りないのだなぁと思ってしまう。自らの信念がぶれていて、その場、目の前にある具体的ケースだけで「人を批判すること」が目的化しているから、その自らの発言が自らに降りかかってくることすら分からないのである。あるケースで「思ったこと」が、どのような考え方に繋がるのかを考え、矛盾をしていないかどうかチェックをしていく中で、自らの原理原則に気づけるであろう。それが明確になったら、その後の発言はより容易になる。

もちろん、経験を重ねていく中で原理原則の微調整も恐れずにしていかなければならない。変化をしてはならないという頑固なものではないからだ。かつてチャーチルは、「若いときに左派でないのは情熱が足りない。年をとって左派なのは知性が足りない」と言ったが、年齢とともに主義主張・原理原則が変化するのは当然のことである。変化よりも大切なことは、自らに向き合い、不断に思考を練り混んでいくことではなかろうか。