学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

舛添知事問題

都知事が問題になるという珍妙な出来事が起きている。センテンス・スプリングこと文春の記事に発端を持つこの問題であるが4月29日の「舛添都知事、ありがとう」の記事内でも書いたが、これは法律問題でも政治問題でもなく、モラルの問題であると僕は主張してきた。

その後の報道で、政治資金規正法は入金についての定めであり、使途については領収書さえあれば特段の定めがない。つまり、法的には公私混同をしてもなんら問題はないことを知った。収支報告は情報公開されており、その使途に異論を持つならば、次回の選挙で投票しなければよいという仕組みだ。つまり、法的には、家族で温泉旅行に行こうと贅沢品を購入しようと財テクに使おうと自由なのである。兵庫県議の野々村氏は領収書を改竄・捏造したから犯罪なのである。舛添氏は弁護士を雇っているが、結果は「違法ではない」という結論の見えている茶番である。弁護士は箔付である。

政治家の作る政治家規制法なので、いわゆるザル法であるから、国民(都民)やマスコミの批判対象は立法府たる国会ないし都議会に向けて為されなくては意味がない。都知事に対する強制的な民主主義的手段としては、リコールと都議会による総務委員会や百条委員会があるが、リコールは現実的ではない。2ヶ月で重複がなく、住所の確定できる約146万人の署名を集めるというのは、効率的でも現実的でもないからだ。だからこそ、都民の批判を受けて都議会議員が動かねばならない。これは効率的だし現実的である。

理屈を言えば、地方自治は二元民主制であり、いわゆる大統領制である。したがって、住民から直接に選ばれた知事の権限は非常に大きい。これに対抗しうるのは、同じく住民から直接に選ばれた都議会だけである。住民から直接選ばれたというところが民主主義において非常に重要な要素であり、これが国家ならば国会のみで、総理大臣は国会から選ばれるので一元的だが、地方自治体においては、知事と地方議会という二元的なのだ。

東京都は職員数がすべて合わせて17万人近く、その予算規模も都市では世界一で、ノルウェーや韓国などの小国の国家予算に等しく、GDPでは国別のランキングに乱入させれば世界第15位である。今、批判の矢面に立っているのは、この巨大な組織の頂点に君臨する東京都知事なのだ。非常に大きな敵と闘っている自覚をマスコミと都民は持つべきだろう。一筋縄ではいかない。