学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

舛添都知事、ありがとう

4月26日、週刊文春WEBで舛添都知事の「公用車で温泉地の別荘通い」がスクープされた。いわく「知事の職責は都政全般にわたる広範なものであり、時間や場所を問わない。週末には、その週の業務のまとめと翌週の公務のための準備を世田谷や湯河原の事務所で行っている。危機管理上万全の体制を講じており、問題ない」そうだ。そして27日、公用車の利用については「ルールに従ってやっており、問題はない」とし、「健康を保って、頭を整理して、都民のために働く態勢を整えるのも知事として重要な役割だ」と記者会見で述べた。

僕たち都民のために単純計算で400万円の公費を使ってリフレッシュしてくれているという。僕たち都民は感謝しなければならないだろう。都知事は公人であり、SPも付くし給与体系(勤務体系)も都職員とは異なるので一概に比較もなるまいが、都職員が毎週金曜日に保養のためにどこぞの温泉地に向かえば、その交通費も支払われる理屈になろう。なにせ東京は健康を保てず、頭を整理できず、働く体制を整えられない土地なのだ。

公用車が「動く知事室」なのは、その通りだろう。しかし、この知事室広報を通じての釈明や記者会見での理屈には無理があると感じる。屁理屈である。舛添都知事はルール通りにやっており、問題はないとの認識のようだが、そのルールがおかしければ正していくべき立場にある人である。これこそが「知事として重要な役割」である。周囲の人がルール通りだからと擁護するのならばともかく、当事者がこれを盾に税金の使い道で開き直るのは見苦しいと思う。

この問題は確かにルール通りで問題はないのかもしれない。実際、こうした規定が緩いのも事実だ。それは運用者に一定の裁量を認め、なにかあった時に円滑に業務が進むように配慮されているからだ。雁字搦めに細かく規定されていれば、その規定に縛られて緊急時などに身動きが取れなくなってしまう。そして、運用する人が政治家であれば、その運用の仕方に信頼を置いているということでもある。

つまり、この問題はルールに従っているか否かという規律意識ではなく、規範意識が問われている問題なのだ。モラルの問題である。だから冒頭にある舛添都知事の釈明が屁理屈に聞こえてしまうのだ。「そういう問題ではない」「ルールに違反していなければ何をやってもよいのか」という話になる。舛添都知事の政治家としての在り方が問われている。

ルールの枠内でその不備を悪用されれば、ルールはより厳しく規定されることになる。ルールの運用において想定した範囲を逸脱する人が現れれば、ルールを悪用できないように細かく規定していかざるを得なくなる。そうなってくると、住みにくい世の中になる。「中学生らしい服装」を定めて、どこまでが「中学生らしい」のかを議論しなくてはならない時、いわゆる一般的な社会常識から大きく逸脱した状態がある。そして、「靴下は白でワンポイントがあるものまで」と規定されることになる。大きく逸脱した人がいなければ、もう少し自由があったはずである。

モラルの問題は罰することができない。でも、都知事という公人が税金を使ってしている行為について、モラルを逸脱するような行為をしてルール違反ではないと開き直ることは、本当に見苦しいと思う。攻撃されたと感じて意固地に防御に走っている感も否めないが、都知事としての職責を果たすために、税金の無駄遣いは海外出張費用の検討と同じように、こうしたルールの改定にも取り組んでほしい。ルールがおかしければ変えていくことこそが知事の仕事である。中央も地方も財政が苦しい状況にある中で、公金の使い方を考えて節約していく姿勢は、彼に限らず公務員全般に求められている。公金を湯水のごとく使う姿勢が問われている。