学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

知識の集め方

知識を得ることはとても大切である。インプットがなければアウトプットすることもできないし、アウトプットはインプットよりも少ないものになるから、インプットしていく知識は多いほどよい。ここに読書の必要性がある。読書習慣のあるなしは、その人の人生を大きく変えるものだと思う。

といって、なんでも読めばいいというものではない。他に書くことがない暇な著者が、他にすることのない怠慢で無知なる読者をターゲットにして書いた本が世には溢れている。こうした毒にも薬にもならない本は、出版不況を迎えてからますます増える傾向にある。こういうくだらない本に時間を割かないように意識することが、読書をするうえで最初に重要なこととなる。

では、どういう本を選び、どういうふうに読んでいけばいいのか。答えはあれこれと読まずに1つのテーマを追求することではないだろうか。たとえば、歴史上のある事件を扱った信頼のおける歴史書や自伝他伝、評論を読んで比較するとよいだろう。今の世の中に出ようとする人には、人口問題を扱った本を多く読むように勧めている。今の社会のほとんどの出来事は、少子高齢化を解決すれば解決できるし、少子高齢化で従来の諸制度が破綻しているからだ。

時には対立や矛盾する記述に出会うこともあるだろうが、それでかまわない。多くの見方の存在することを知ることになるからだ。そして、むしろ、そういう場合のほうが記憶に残りやすい。とはいえ、その1つのテーマを追求し、専門家になれと言っているわけではない。最初に頭に入らなかった出来事が、冊数を重ねるごとに立体的に把握できるようになり、あるいは誰かとの会話に出てきたときにすんなりと理解できてしまうというようなことも起きる。ディスカッションや日常の話に乗せることで、意外にも完璧な理解になるものである。

実は、1つのことに集中することが苦手な人は、難しいこととはすなわち出来ないことだと思っていることが多い。身に付けておいた方がいいことには、多少なりとも困難や面倒が伴うものであるが、それを「出来ないこと」と退けたり、初級レベルで満足して引き下がる人は、結局は怠け者であり、なにも手にすることはないだろう。そんな苦労をするくらいなら無知のままでいい、馬鹿のままでいいと目的達成を前に諦めてしまう。

だから、浅い理解のままで、一つの事柄をあちらからこちらからと見てみることをしない。そういうふうに多角的に見ることをしないから、深く考えることもできないし、観察力も洞察力も養われない。むしろ、困難で難しいことに出会ったら、徹底的に知り尽くしてやると奮起することこそが、深く考え、観察力や洞察力を得る最短な道なのだと思う。こうした姿勢を養うためにこそ、前述したような読書の方法がよいのである。

そして、選ぶテーマは、普通の一人前の大人なら誰もが知っていること(知っているべきこと)から選べばよい。つまり、政治や経済、人生訓・社会評である。スタップ細胞とかニュートリノについては、表面的な理解で構わないし、話が出た時に相槌を打てる程度で構わない。意外にも、社会を深く観察した書物は得るものが多い。随筆や紀行文は人気のないジャンルだと思うが、実はこういうところにこそ、社会のエッセンスがあるものである。ある人のモノの見方は、はたと気付かせてくれるものがあるだろう。

知識の集め方としてのこうした読書習慣は、知識に多角的にあたることを与えてくれるものである。そして、知識に多角的にあたることは、深く考え、観察力や洞察力を磨いてくれるものである。明日は、この結果が導き出すものについて、記事を投稿してみようと思う。