学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

本当の自分と、その作り方

「本当の自分」なるものを求めて1人旅に出る、と時折聞くことがあります。あるいは就職活動を始めたばかりの学生が「僕は何になりたいのか」「本当の僕は何に向いているのだろう」というような疑問に直面している姿に出会う機会があります。そうした時に僕にはいつも言うセリフがあります。

『本当の自分なんて存在しないよ。探索や発掘をしてどこかから見つかるようなものではない。自分とは毎日の積み重ねで作り上げていくものだよ。』

今の自分は「未熟な自分」であり、「本当の自分」とは種を明かせば「理想の自分」なのだと思います。「本当の自分」を探していて、「これだ!」と思えるものに出会った時に、それが「本当の自分」になるのであって、「今の自分」が納得しないものを「本当の自分」にはしません。「今の自分に響く将来の自分」が「本当の自分」だと思うわけです。

この時、悲観的な人は「理想の自分」に出会っても、現実とのギャップや理想実現のステップの困難さに始める前から挫けるかもしれません。楽観的な人は現実とのギャップを認識しないままに進んで、結局は力を得ぬままに倒れるかもしれません。つまり、大切なことは、現実とのギャップを認識し、それを自己の検討課題として少しずつ近づいていく計画を立て、「こうなりたい!」という理想を部分的に現実へと変えていくことです。この積み重ねが「僕がなりたかった自分」、すなわち、「本当の自分」と表現するものに他なりません。

数学と同じく、途中式が大切です。たとえ正答を導き出せなくても、「式の立て方は合っている」とか「途中式は合っている」とか「ここまでは正しい。もう一歩!」という声掛けをもらった人は多くいると思います。人生もこれと同じです。「理想の自分」や「本当の自分」はいきなり登場してくることはありません。そして、その式の立て方、途中式の確認、どこまで合っているかなどのチェックについて、教師や先輩などに支援をもらえばいいのです。

計画が失敗するのは、いきなり完成体を目指そうとするからです。英語の学習をしようとして、目標を「ペラペラ話せるようになる」とか立てるから挫折する道しかないのです。「ペラペラ」のレベルは抽象的で、自分の思い描く「ネイティブのように話す」はとても遠い目標です。この計画の実現は何年も掛かるようなものなのに、「いくらやってもできるようにならない」と数年で諦めるわけですね。挫折するしかありません。そもそもネイティブ・スピーカーとしての母国語ですら、20年近く話してきても、まだまだ知らない単語も熟語もあって怪しいのに。

目標には、その年齢、年齢に合わせた設定があります。その域に到達していないのに次のレベル、さらにはその次のレベルの目標設定をしても、実現しないばかりか失敗経験を重ねるだけの鬱々とした状態に陥るばかりです。小学生の「お花屋さんになる!」と大学生の「お花屋さんになる!」には、同じ夢でも現実レベルが異なります。小学生が大学生レベルに現実的に対策を始めても失敗します。もちろん、大学生が小学生レベルで考えていても実現はしません。

論語の一節に次のようなものがあります。

「私は15歳で学問を志し、30歳で自分の足でしっかりと立ち、独立独歩で学問の道を進む自信を持った。40歳にしてどんな問題が起きても心に迷いが生じなくなり、50歳で自分の天命が学問であることを知り、安心立命の境地に達した。60歳で他人の言葉が素直に耳に入るようになり、70歳でしたい放題しても脱線することはなくなった。」

孔子ですら、70歳までかかるわけですよね。15歳の義務教育終了時に志を立てても、これでいいんだと思えるまでに15年を要している。次の10年で確信を得、その次の10年で「これが本当の僕なんだ」と分かる。すると、がむしゃらに生きてきただけではなく視野が広がり余裕が生まれ、70歳にして無意識でいても習慣的に道を誤ることがなくなる境地に到達しています。

大学生が就職活動を始めるに当たり、自己分析でつまづくのは、こうしたあたりに原因があると感じています。「少年よ、大志を抱け」とばかりに夢を大学生レベルの現実感で具体的に描いていけば、彼らは歩き出すし、やがて実現をしてきます。人間の可能性は無限大です。だからこその生涯学習であり、自己研鑽でもあるのです。目指すものを持ち、ステップアップしながら少しずつ進んでいく。

このあたりはゲームと同じです。経験値を重ねてレベルアップして、50歳あたりでラスボスに挑戦するのです。ゲームで馴染みのあるものだから誰にでもできます。そして、60歳を過ぎたら、次世代への貢献を図るべく、人の言葉に耳を傾け、余裕を持った接遇で次世代を育てていけば、この世の中は丸く収まるように感じています。