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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

「2ちゃんねる」を好きな理由

僕は結構「2ちゃんねる」が好きだ。一つには歯に衣を着せない本音が垣間見えるからだ。本来であれば口にすると社会的関係が傷ついたり人格を疑われたりすることから表に出せない感情を、匿名掲示板ゆえに率直に表に出しているからである。人は理屈通りには動かない。しかし、人を動かす原理たる感情は見えにくい。それが2ちゃんねるには溢れているように感じる。

それに、自虐的であったり自戒を込めていたりという日本人らしい文化面が表出していることもあるし、見知らぬ者同士だけれども同じ日本人という(あるいは同じ階層や主義主張を持っているという)仲間意識やチームプレーといった共同体意識を感じられることもある。地方でさえも共同体が失われつつあると言われる昨今、なにか温かいものを感じる。

もう一つの理由は、時折、鋭い指摘や常識を打ち破る視点が含まれていることだ。それは普通の人とは異なる角度からモノを見ているということであり、きわめて興味深い指摘が為されている。「2ちゃんねる」からの引用の(正しい?)仕方が分からないが、「米軍兵士、子猫を救出するためにヘリを壊す」(痛いニュース)から、具体的に見てみようと思う。

まず、前提となる事実は昨年に米国で起きた話で、米国陸軍の攻撃用武装ヘリ「コブラ」の中に1匹の猫が閉じ込められた。この猫を助け出すために、米軍兵士が最初にミルクをやりながら、最後にはヘリの外面をはずして猫を救出した」というものである。この記事のタイトルは「子猫が米軍ヘリを壊す」である。ここに寄せられたコメントについて、以下に紹介したい。

 

「猫1匹でヘリ1機無力化出来る」

ふつう、猫が救出されたと聞いて、それで攻撃ヘリが無力化したとは思わない。単なる整備中の出来事程度の認識だろう。しかし、「攻撃ヘリ」であるところに注目すれば、しばらくの間とはいえ使えない状態にしたことは、オーバーな捉え方だが攻撃ヘリの本質的な役割に注目した発言である。これに「最強のテロリストぬこ」とか「訓練された敵のネコだったらどうすんだよ」「IS『よし猫の盾を作ろう』」という発言が続く。最初の発言で提示された「ばかばかしい前提」を共有したうえで、アメリカの攻撃対象からの反撃だったらと仮定して、「テロリスト」「訓練された敵のネコ」「猫の盾」と受けている。ユーモアに対してユーモアで返す面白さがある。それに、ネコを「ぬこ」と表現して動物愛も感じさせる一方で、「最強のテロリスト」とそぐわない形容を付けるという落差にセンスを感じさせる。そして、「米軍兵士イメージ向上の為に猫を仕込んだ作り話に見える」という陰謀論も登場し、マスコミなどでのやらせ問題に辟易していることや、穿った見方の成立すること(すなわち視野を広く持ち、あらゆる可能性を見ること)も教えてくれる。

 

コブラ『ヒューッ! お痛が過ぎるぜ子猫ちゃん』」

これは、寺沢武一の人気を博した漫画作品「コブラCOBRA THE SPACE PIRATE)」の主人公と、攻撃ヘリコブラ」との連想である。名前が同じというだけでなんら無関係なのだが、危機に直面してもおちゃらけた軽いノリの主人公の性格が、危機に直面することもありうる攻撃ヘリと部分的に重なり、にやっとさせられる発言である。これは比喩という技法だが、比喩は前提とする知識を共有する人同士にとっては字面以上の情報を伝えるという特性があるので、より豊かな表現として読むことができる。

 

「異物を取り除かないと正常な運用が出来ないという話だろ。それがたまたま猫だっただけで 」

一方で、こういった超現実的な冷めた見方も必ず提示される。他にも、「ヘリ壊すっていうより、外装外しただけじゃんw」という発言もある。さきほどまでの「ばかばかしい前提」を共有した話が続いていく中で、いきなり現実を突き付けてくる。実は「ばかばかしい前提」を共有した時点で、我々はその世界に入り込んで楽しんでいるものである。ある意味での視野狭窄が起きている。そこに冷徹な見方が提示され、ふと熱病から覚めて現実に戻る。これは日常でもよく起きることである。常識とか慣習とかで思考停止に陥っているときに、こうした冷徹な見方ができるというのは武器である。

 

「ぬこの命は地球より重いからな」

この発言は、日本で馴染み深い「人の命は地球より重い」というセリフをもじったものだが、ここでも「ぬこ」にたいする愛情を感じるし、また、人とネコを対等に扱うユーモアも含まれている。人を不快にさせない優しい皮肉でもある。しかし、この直後には「でもこのヘリで人や動物をたくさん殺すんだよな」という発言が続き、再び冷徹な現実世界に引き戻される。「命は何物にも代えがたい尊いもの」という教えと戦争という人間社会の矛盾を鋭く指摘してくる。そして、「これがゴキブリだったら救出じゃなく駆除だったろう。命とは不平等なもの」というように、人間とネコの対等性を一度は受け入れた我々に命の不平等さを突き付ける。攻撃ヘリが人を殺すという非日常で遠い存在を意識していた我々傍観者にとって、ゴキブリという日常性を持ち込むことで、他人事ではない批判を感じることになる。

 

「この後ネコミミ美少女がお礼に来るんだろ?」

「鶴の恩返し」という昔話を共有している我々にとって馴染み深い構図に「ネコミミ美少女」という現代的要素を加えて、その時の場面をにわかに想像させるユーモアも登場する。ここに「おまいら」との連携が見て取れるし、深刻な命の話や人間社会の矛盾を突き付けられた鬱々とした気持ちを一掃してくれる。

 

「助かって良かった!」

そして最後に、ゴチャゴチャと御託を並べずに、「助かって良かった!」という人間本来の温かな思いを想起させて「まとめ」が終了する。読了感はほのぼのとしている。殺伐とした話であればあるほど、最後の最後で「助かって良かったね」と、どの論陣を張っている人であろうと全員が賛同する結論で終わりにして「和を尊ぶ」のであるから、読了感が悪いはずもない。

 

冒頭で述べたような要素を具体例で見てきたわけだが、こうした視点や構図の転換は、日常の人間関係の中で大いにヒントを与えてくれるものである。話の面白い人、人を引き付ける人には、ここに書いてきたような要素が備わっていると思う。皆が浮かれている時にその空気に呑み込まれないリーダシップを発揮してくれる、鬱々とした空気を打破してくれる、という要素である。そこにユーモア精神が溢れていれば、なお一層、人間関係は円滑になるだろう。そういう人になるには、こういうものに日常から触れておくことが一番である。

だから、僕は今日も「2ちゃんねる」にアクセスするのである。(←自己正当化)