学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

朱に交わりながらも赤くならず

昨日の投稿に読者モルガンさんからのコメントが付いたので、それについて、今日は「僕の回答」という形で寄稿してみようと思います。

雇用・労働形態においては私も日々苦しんでおります。そこでこの終身雇用の撤廃やダブル・スタンダードの導入は非常に良案と思います。ただ、相当強烈な個性を持った方がトップにならないとこのダブル・スタンダードはなかなか浸透しないと思います。組織が大きければ大きいところ程。ユニクロの柳井社長は週3日の休日にしながら、巨大なグローバル企業にしましたが本当に素晴らしい。

「相当強烈な個性を持った方」が現れて世の中を変革していってほしいというのは、いわゆる「英雄待望論」です。第二次世界大戦時のヒットラーチャーチルを引き合いに出すまでもなく、大阪の橋下氏や国会の小泉元総理と進次郎議員も、この系統に属するかと思います。ユニクロの柳井社長が引用されていますが、これも同様です。

しかし、「英雄待望論」では、「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」と言ったドイツの劇作家・詩人、ベルトルト・ ブレヒトの言葉に代表されるように、社会に閉塞感が漂うときに英雄が必要とされ、それは熱狂的にもなって、たいていの場合、悪い方向に収束していきます。独裁やワンマン経営にも繋がりやすく、その人が亡くなった後には衰退の一途を辿る傾向もあります。そうではなく、もっと民主主義的に「みんな」の力で何とかしていきたいと考えています。

「英雄の登場」では社会は一時的に変化しても、その一時的変化の後には更なる混沌が訪れると考えています。また、その一時的変化は急激で過激で、社会に及ぼすインパクトが大きい分、元の状態に戻ろうとする揺り戻しも大きなものとなるでしょう。ホリエモンの登場も、こうした時代の流れの中に位置づけられるし、彼は少し急ぎすぎたし、世の中への登場が早すぎたし、過激すぎたので、出る杭は打たれるとなったように感じています。このことはモルガンさんも以下のように感じておられるかと思います。

日本の大企業のトップは経団連に属しているところが多く、そこに何らかの不利益が生じればどんなに画期的で時代にマッチングした事案でも通らないと私は考えます。そして日本の企業内は、前例主義の文化なので何か新しいことを始めるハードルが高いです。イノベーションによって自分の仕事がなくなるのが怖い方や、今までのやり方を変えたくない方、未だに根性論を押し付け強迫観念的な空気を作る方もまだまだいらっしゃる。

ここでモルガンさんが指摘している通り、「画期的で時代にマッチングした事案」や「イノベーション」などの変化に対して、拒絶反応が起こること、しかも、それが組織的にも散発的にも起こることが予想されます。起きる変化が大きければ大きいほど、急であればあるほど、その反発もまた大きく急になるものです。ここには二項対立の抗争の激しさが存在することでしょう。宗教戦争のようなものです。だから、

そして、最初からおかしいと叫んでも周りがついてこないので、最初はおかしなところを受け入れながらも機を見て変えるしかないと思いながら、おかしいことを受け入れていく中で自分が染まってしまう方がほとんど。

というように、周囲を巻き込んで地均しして環境を整えようという手段しかないと考える。しかし、それでは「悪の環境」に浸かっているうちに感覚がマヒして、ミイラ取りがミイラ取りになる、朱に交われば赤くなるということに危機感を抱いているのでしょう。それほどまでに環境の力は大きいということで、これは僕も大賛成です。しかし、この変革は急ぎ過ぎているから焦りになります。自分が染まるよりも早く変革をしようという「急な変化」を求めています。

また、変えるまでに時間と労力がかかり過ぎて挫折してしまう方も沢山いらっしゃいます。

ここの部分も同様で、急すぎて過激すぎるから時間も労力も半端ないものになってしまうということになります。しかし、観察の視点をもう少し大きく持ってみてください。モルガンさんの視点では、会社が単位になっており、その中での構図なのです。とすると、会社という巨大なものに1人立ち向かう(あるいは組合で立ち向かう)というようなドン・キホーテの無力を痛感することになるでしょう。

より大きな社会という視点で考えると、従来勢力からするとありえない変化があることもまた実感できます。セクハラ、モラハラ、パワハラ、マタハラなどのハラスメント基準の増加、コンプライアンスという名の下の締め付け、個人情報保護という締め付け、分煙に取り組む義務など、会社のみならず経団連と言えども抗えない時代の変化があります。これは社会的意識の変化によるものです。経営という視点から言えば、経費も掛かるし面倒も増えます。それでも、しなければ企業が社会的に存在できないのです。

そして、社会意識の変化には情報の伝達がカギになってきます。この情報伝達のテクノロジーの発達には目を見張るものがあります。2010年からチュニジアで起きたジャスミン革命では、この情報の伝播がテクノロジーによって迅速に行なわれ、社会変革を引き起こしました。こうしたテクノロジーは我々の日常生活を変えました。その変化は経済構造的にも起きてきています。その前には、東芝やシャープでさえも耐えきれていません。それでいて、個人の多様性を認める社会にあってはルソーが言ったような「一般意思」の形成も難しく、細胞レベルの「意思」が乱立しているのです。

だから、従来型の民主主義も経済政策もうまく働いていないのだと思っています。これが当ブログの基本的社会観です。既存の枠を疑い、新しい空気を読み取り、構造的に理解して対策を常に検討し、世の中の流れに竿を差しながらも時代の変化についていこうと呼び掛けています。モルガンさんが指摘した「いつの間にやら赤くなる」を避けるためにも、こうした知性の働きを活発にしていく必要があるのだと思っています。このブログはそうした啓発の1つになれればと願い、記事を投稿しています。

コメントの投稿、ありがとうございました。