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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

境界線を意識すること

哲学思想

今日でブログ開設から6ヶ月が経ちました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。ブログは「表現の自由」の手段ツールの1つですが、これについて今日は考えてみたいと思います。

表現の自由」は「表現の暴力」と紙一重である。あるものが「表現の自由」とされていても、ある時にそれがそのまま「表現の暴力」へと変貌する。この両者の区別はとても曖昧で、峻別しにくい。

表現の自由」の根底には「良識」や「節度」がなければならないとされる。これがないものを「ヘイト・スピーチ」といい、この存在がきわどいラインにあるものを「風刺」という。「風刺」は圧政下にある人々が生み出した民衆の知恵であり、文化である。欧米風に「風刺」となるが、日本にも同様に「川柳」という文化がある。権力者の側を揶揄して溜飲を下げる文化である。「ヘイト・スピーチ」は単なる差別であるが、差別もまた文化的要因であることが多い。

しかし、「良識」や「節度」は、その批判先である権力者の側が都合よく整えるものであるし、自ら「良識」に縛られて「表現の自由」を自己検閲するようにもなりかねない。「表現の自由」を尊重してしっかりと守ろうとすれば、そのことがかえって「表現の自由」を破壊するというパラドックスがここにある。だから、「表現の自由」を野放図にしておくと、平和や人権など「普遍的な価値」という美名のもとに、それとは異なる考え方を持つ人の多様性を排除し、世の中から寛容性を失わせる結果に繋がりかねず、結果として権力の介入を自ら呼び込むことになる。

たとえば、現在のアメリカとイスラムの対立という問題がそうだ。神から解放されることで自由になると考えた西洋近代と、神とともにあることで自由になれると考えたイスラム世界との隔絶は、どちらか一方の「良識」に従えばもう片方は「悪」である。ここに「普遍的価値」としての西欧近代民主主義を大上段に振りかざし、イスラム世界を排撃し、多様性と寛容性を排除した構造的問題を見ることもできる。

ところが、この前段落の例の紹介の仕方にも、問題が含まれている。それは「アメリカ」と「イスラム」という象徴的用語である。アメリカもイスラムも共に一枚岩ではなく、その内部に多様性を持っている。イスラムで言っても、ISのような集団から世俗主義を貫くトルコのような国まである。にもかかわらず、「イスラム」と括っているから、二項対立の構図を容易に呼び込んでしまう。

「表現の暴力」とは、この多様性と寛容性の排除からくる表現であるが、「表現の暴力」を許さない強硬な姿勢もまた、多様性と寛容性を排除するものなのだということを強く意識しなければならない。だから、表現をする際に注意するべきことは、その境界線なのである。「表現の自由」と「表現の暴力」は同じものであって、受け取る側が設定した境界線でどちらの側になるのかが決まる側面を見逃してはならない。なにかを主張するときには、自分が引いた境界線が他者のものとは違う可能性を考え、その他者から異議を唱えられたときにはそれに立ち向かっていく覚悟が必要であろう。この覚悟の有無がジャーナリズムの質を決定すると思う。

同じ週刊誌があるときは大スクープを、あるときは訴訟問題で敗北を喫する記事を掲載することがあるのもまた、このことを示していよう。つまり、こうした週刊誌は境界線上に果敢にチャレンジし、世間に受け容れられるところとそうでないところをうろうろしているのだ。ここに「良識」や「節度」を持ち込むと、おそらくは自己検閲のつまらないジャーナリズムや、権力の太鼓持ちに成り下がりかねない。このことを多くの人が肌身が感じているからこそ、その弊害にもかかわらず、そうした週刊誌が売れ、存続しているのだ。

しかし、この週刊誌の例が示すように、境界線は非常に曖昧である。これは、国内でほとんどのことが済んでいた時代と比べて、なお一層曖昧になったように思う。グローバリズムとテクノロジーの発達が、既存のものの境界線を先鋭化させている。それは異質なものが日常に迅速に深く入り込むことを可能にしたからである。都市と農村、ビジット・ジャパン事業クール・ジャパン事業、ジャパン・ハウス事業、スーパーグローバル大学事業、そしてテレビや書籍における優秀さを際立たせる日本ないし日本人礼賛の風潮など、グローバリズムとテクノロジーの進展は、我々をいやおうなく境界線の薄れた世界へと導いている。

こうした中にあって、偏狭なナショナリズムに陥ることなく、元々の、かつての状態から見直し、グローバル化とは何か、おぼろげな境界線がどこにあるのか、こうしたことを考えながら日常を過ごしていくことが、知的生産には必須のことだと思う。