学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

あるべき姿

政治家、教師、警察官など、普通よりも高い倫理観を求められる職業がある。政治家は人を拘束する法を作るから、教師は人を指導するから、警察は人を取り締まるから、というのが理由であろう。他人のことをとやかく言うわけだから、「おまえが言うな」と言われないようにしなければならない。そうでなければ、法は作れないし、指導もできないし、取り締まりもできない。

タクシー運転手に暴行し、乗車料金を支払わずに逃走したとして、大阪府警は28日、府警吹田署地域課の巡査長、田之上匡希(まさき)容疑者(25)=大阪府寝屋川市幸町=を強盗致傷の疑いで現行犯逮捕したと発表した。(毎日新聞

 そこで、ふと調べてみたのだが、府警警察官の逮捕は今年6人目だそうだ。警察庁によると、昨年1年間の警察官の懲戒処分者数は300人で、処分理由の内訳は、セクハラを含む異性関係が80人と最多を占めている。このうち、逮捕された警察官は71人で、こちらの罪状は痴漢や盗撮などのわいせつ行為が33人と実に半数近い。具体的には、わいせつ行為、盗撮、セクハラ、不倫、ストーカー、飲酒運転、窃盗、捜査書類の紛失や破棄、である。これらは、実は教師の懲戒処分でも似たような状況にある。

これ自体を取り上げて、警察官のモラルや倫理観が低いと非難するつもりは毛頭ない。というのも、警察官の総数は25万人程度、教師の総数(幼稚園~高校、特別支援学校などを含む)は100万人である。母体が大きいので、そこでの数百人は組織の問題というよりも人間の弱さという個人の問題である。

普通の民間企業や他の公務員においても状況は変わらないし、政治家、教師、警察官が特別多いわけでもない。しかし、政治家、教師、警察官の不祥事は、ニュースになるのである。換言すれば「ニュースとしての価値」があるということだ。同じことをしてもニュースになるか否かである。芸能人の結婚はニュースだが、普通の人の結婚はニュースになることはない。

だから、これは職業倫理という話では本来、ない。報道において、警察官の倫理モラルの崩壊だのという批判を見かけるが、それはいたずらに社会的不安を煽っているかのようだ。この問題は、個人個人の道徳倫理の問題、あるいは理性の問題である。欲望を抑えるという、動物を超えた能力、人間としての力の問題である。

「武士は食わねど高楊枝」(名誉を重んじる武士は、貧しくて食事がとれない時でも満腹を装って爪楊枝を使うこと)というのがあるが、こうした人としての名誉を重んじる風土を涵養しなければならない。これを武士の心意気と見るか、単に見栄を張って気位だけ高くいると見るかという解釈の余地はある。しかし、作法や見栄は、人間としての余裕であり、動物ではない人として気高く生きる一つの方策を示したものだと僕は解釈している。

面倒で堅苦しいものではあるが、作法を否定する人はたいてい作法がない。自らに作法が身についていないからこそ作法を否定するのであり、あるがまま、自然のままをよしとする。しかし、それでもなお、人は作法がきちんとできることを望ましいとか、羨ましいとか感じるのではないだろうか。あるべき姿とは、無理をしない自然のままではなく、理性によって自律した作法ある姿である。それが証拠に、これを崩すと社会的生活が難しくなる。