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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

砂上の楼閣

今、日本の景気は少しずつ回復基調にあるという。ここ20年間の不況からようやく抜け出す光明が見えたということらしい。しかしね、僕は悲観的にならざるを得ない。

というのも、無理を押し通して、そのシワ寄せを弱者に負わせているいびつな構造があるからだ。こんな回復はどれだけ見事な楼閣に見えても、砂の上に立つ虚しいものであろう。

たとえば、ネット通販が幅を利かせるようになって、「送料無料」が普通になってきた。サービスを受けているのに無料に慣れてしまった人々から、その対価を払う意識が消えてしまった。どこかの雑誌の記事で見かけたが、ネット・アプリやネット・ゲームでも、無料のもの以外が「売れない」という。配達を請け負っている人、アプリやゲームを作る才能のある人の犠牲の上に自らの享楽を成立させている状況である。

ある意味で仕方ないとも思う。20年間の不況を生き、節約をしてなるべくコストを減らしたいと願ってきているわけなのだから。しかし、それは自らの首を絞めている行動でもある。労働をしても適正な対価を受け取れないとしたら、ますます生活は厳しくなる。より消費をしなくなり、より無料サービスを求めるようになる。誰かに無料でサービスをさせるということは、奴隷的労働を強いるということだからだ。それはまわりまわって自分のところにまで波及してくる。

世に「ブラック企業」という言葉が登場してから久しく経つ。それは減るのではなく、年々、企業体や業種を超えて広がりを見せつつある。増える一方だ。これがまわりまわっているということだ。一昔前の「サービス残業」では、受け取っている対価は相当のものではなくても、基本給がある程度余裕のある金額であったが、今では最低限を下回るような過酷なものになっている。「奴隷残業」である。この意味で、「社畜」とは的確な表現である。

だからこそ、「主人」になりたくて、「お客様は神様だ」と言わんばかりに、自らが客として上位の立場に立つやいなや、横暴な暴君へと変身する。クレーマーや土下座を強いる客に成り下がる。こうして溜飲を下げているのだろう。その人はおそらく、職場において不当な扱いを受けていると思われる。

こうして捻り出した無茶な消費の回復は、砂上の楼閣でしかない。我々は「タダより高いものはない」という言葉を肝に銘じる必要があろう。