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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

思うことと考えること

「~と思う」というのと「~と考える」は、あまり意識できていないことだが、実際には多くの人がこの2つを使い分けている。英語で "think" と引けば、「思う」も「考える」もともに訳語として載っている。しかし、これはともに同じ事象を指すとはならない。

今夜の献立を思う

今夜の献立を考える

 こうして目的語を立てると、両者が違うことが見えてくる。これに違和感を覚えるということは、2つの語句が同様でなく、それぞれ用い方が異なっていると気がついている証拠である。もうひとつ例を挙げる。

恋人のことを思う

恋人のことを考える

「恋人のことを思う」では、口をだらしなく開けてヨダレを垂らしながらニヤニヤしているニュアンスで、「恋人のことを考える」では、相手の状況を踏まえて今は電話を差し控えようとか我慢しようというようなニュアンスである。この例では2通りの状況が存在するので、両者ともに正解である。しかし、献立の例では「思う」ほうは間違いである。なぜなら、献立とは組み立てることであり、食材や料理の技能、料理の手順なども含むからである。

 つまり、大雑把に単純な説明をすると、「思う」は漠然とイメージを浮かべることであり、主体的で「私」が視界の中心にある。一方で「考える」は根拠を比較検討し、客観性ないし第三者の存在を前提としている。だから、「思う」は自信のないことや、調べるところまでいっていない重要性の低いものについて、気軽に意見を述べる時に用いられる。これにたいして、「考える」はそれなりの過程を経てきているものなので、自信もあるし、ある程度の説得すら試みようとするのである。

当ブログで言えば、ネタを「思い付き」、報道やデータにアクセスして比較検討しているうちに、自らの主張を「考え付いて」いるのである。だから、こうした文章では言い切りの断定口調になっている。自信もあるし、読者を納得させ、説得しようと試みているからである。そういう確固としたものだから、「~と考える」との文末は不要である。内容について反論できるか、または思考過程を伝えられるからだ。逆に、こうしたものがない場合には、「~だと思うよ」と文末を柔らかくする。突っ込みに対して答えに窮しても、「思っただけだから」と感情が源泉にあることを示せるからである。

通常は内容の部分、英語では言えば that 節の部分が大切なので、文末は意識されることが少ないが、図らずも自信のなさが露呈してしまわないように、レポートなどを書く場合や顧客、上司と会話する際には、「思う」を使わないように心掛けることが賢明であろう。話し手も聞き手も意識はしていないが、ニュアンスはしっかりと伝わっているからである。