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学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

イデオロギーの終焉

政治論考 時事論考

ダニエル・ベルが1960年に刊行した「イデオロギーの終焉(The End of Ideology)」では、先進資本主義諸国における「豊かな社会」の到来とともに、階級闘争を通じた社会の全面的変革なる理念はその効力を失ったとされた。ベルやシーモア・M・リプセットを代表とする「イデオロギーの終焉論者」は、不確定な観念的要素に満ちたイデオロギー的構想に基づく社会の全面的変革に変わって、信頼のおける科学的知識と技術とを用いた社会の部分的改造の積み重ねが必要と説いている。

いわゆる「右派」だ「左派」だという論説は、階級闘争なのである。つまり、現体制側にいるのが「右派」で、現体制下で虐げられている弱者が「左派」になるという構図だ。王侯貴族に対する資本家、資本家に対する労働者というような構図である。だから、右派であろうが左派であろうが「闘争的」であり、とりわけ「左派」は転覆を含めた現体制の抜本的改革を主張するわけだから、革命などを含め、非常に暴力的になる。

こういう鳥瞰的な大きな視野になるから、当然、右派も左派も、その主張は抽象的で観念的になる。抽象的観念論は一般には理解され難いことなので、一部の知識人が多くの大衆を啓蒙することになる。強い調子の文章や演説などによって人々の気持ちを煽り、ある行動を起こすようにしむけるようになる。これはヒトラーもそうならスターリンもそうである。リンカーンもそうならチャーチルもそうである。

これは人々が貧しく、食うや食わずの追い詰められた状態にあった過去の話である。先進資本主義国の「豊かな社会」の時代には、そうはならない、冷戦の終了とともにイデオロギーも終焉を迎えたというのが従来の見方であった。

しかし、「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」(ロバート・スキデルスキーとエドワード・スキデルスキーの共著、2014年9月)が到来した。そして、先進資本主義国ではどこも「格差社会」が問題となっている。彼らの本の副題は、「理念なき資本主義の末路」である。理念というイデオロギーがなくなったら、資本主義は格差を生み出した。その格差は再び階級闘争を引き起こしている。これは欧州では移民問題としても起きている。

したがって、今こそ理念を検討する哲学の時代となったのである。現在の本屋の店頭では哲学本がかつてないブームになっているが、人々は無意識にでも哲学を求めている。哲学などという仰々しい言葉で語らずとも、要は「自分の頭で考えよう」ということだ。煽られて扇動されないように知性を磨こうということである。その時、右派だ左派だと従来の枠組みで考えずに、「信頼のおける科学的知識と技術とを用いた社会の部分的改造の積み重ね」をしようとすべきである。

「信頼のおける科学的知識」はなにやら理系っぽいが、社会科学や人文科学も含まれる。「科学的知識」とは、検証可能な事実に基づいた知識のことである。こういう態度であれば、イデオロギーに血塗られた階級闘争をせずに済む。「イデオロギーの終焉」という予言が外れたとならぬよう、「イデオロギーの終焉」に向けて対話を始めていく。これが現在の日本や先進国をよくしていく道なのではなかろうか。付言しておけば、「対話」とはまず「人の話を聞くこと」から始まる。