学際知の地平

ポストモダン・ポストナショナル・ポストグーテンベルク・ポストヒューマンな時代に不気味な民主主義を考える

ネットの力

オリンピックのエンブレム白紙撤回問題を巡って、ネットの力が発揮されたという。このあたり、正直なところ、僕はまだ現実に追いつけていない。

ネットの力では、2010~2011年に起きた「ジャスミン革命」がすぐに思い浮かぶ。チュニジアで一人の青年の焼身自殺事件に端を発して反政府デモが拡大し、最終的にはベン・アリー軍事政権を崩壊させた民主革命である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、「ジャスミン革命」と名付けられた。そして、この民主化運動は、エジプトなど他のアラブ諸国へも広がり、各国で数々の政変や政治改革を引き起こした。この一連の動きを「アラブの春」と呼ぶ。

ジャスミン革命」という呼称の命名もネットからという説があるくらいで、「ジャスミン革命」および「アラブの春」では、情報共有のためにFacebookYouTubeTwitterWikiLeaksといったネットメディアによる情報交換が重要な役割を果たしたと言われている。アメリカ大統領選挙の草の根運動でも脚光を浴びたが、いよいよネットの力が現実の力として機能し始めた。

安倍政権従軍慰安婦問題、安全保障関連法案をめぐる問題など、日本でもネットの力が大きなものとして無視できない存在になりつつある。オリンピックのエンブレム問題では、NHKがニュース番組の中でネットによる指摘の力に触れた。「ジャスミン革命」の時に初めて人々の耳目を集めたが、それから4年ほどで日本でも浸透し始めた。こうした「直接の国民の声」を政治的にはどのように捉えればよいのであろうか。このあたり、僕はまだネットについての理解が浅い。

日本の識字率は99%(2012年データ)である。この数字を見て、「ほとんどの人が読み書きできる」と受け止めては「99%」の意味は薄れる。こういう数字は「1%の人が読み書きできない」と受け止める。この1%の存在をどのように扱うかで民度が異なってくるといえるだろう。ネットの場合、親しんでいない人の割合は1%より確実に多いであろう。したがって、「ネットの力」は、そのまま「民意の総意」ではない。「民意の一部」である。ただ声が大きいから目立つだけである。

たしかに、街頭で自らの主張をしたり、署名をしたりということで躊躇う人も、ネットでは気軽に書き込んでいるかもしれないが、それでもネットの世界に浸っていない人も多くいるはずである。だから、こうした「一部」の主張が「全体」に拡張されてはならない。残りの何パーセントかの声の存在を忘れてはならない。この点で、僕は現状を把握しきれていないのである。事実が足りないので、考察が及ばない。

しかし、「全員」が参加するならば直接民主主義が実現するかもしれず、非常に魅力的な現象である。